著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。
私が書いたエッセイが、茨城大学の入学試験の英語読解問題に使用されたことが判明した(大学側からは一切の連絡は無かったのだが、これは日本の法律によると問題にはならないらしい。日本の法律は専門外である私は驚かされた)。この問題を大学入試問題集に収録したいという旺文社からのメールで初めて判ったのだ。添付された試験用紙のコピーを見ると、確かに私が書いた文章である。その下に5つの設問があり、たとえば第1問には、"Why
did the author begin studying English?" という質問があり、次の選択肢から答えを選ぶことになっている。
a)She studied as an exchange student.
b) She was charmed by the sound of English.
c) She married an American.
d) She chose to major in English.
えーっと、どれだったっけ。"Author" である私自身が首を傾げる。一切の試験を毛嫌いしてきた私が書いた文章が、本人も知らないうちに「受験英語」として導入されていたという事実は愉快だった。むろん記事が入試に使用されたぐらいで、お金が入る訳でもなければ有名になる訳でもない。それでも、おそらくは茨城大学の先生がネットサーフィンをしている最中にたまたま出くわした私ごときのエッセイに目を通し、「よし、今度の入試にはこれを使おう」と決めてくれたのだと思うと嬉しい。「ありがとうございました」と頭を下げたい心境でさえある。
『Raising a Bilingual Son: A Japanese Mother’s Reflection.』 これが、そのエッセイのタイトルだ。幾多と書いてきた記事の中でも、この作品に込めた想いは深い。今は8歳の息子が日本語幼稚園に通っていた頃、「アメリカで生まれ育ちながらも、日本語ひいては日本語の背景にある文化を吸収して欲しい」という願いを託し、バイリンガル教育への考えを綴ったものだ。「きょうはおにがきたよ。こわかったよー」と幼稚園での節分の豆まきを、目を輝かせながら日本語で語ってくれる息子に胸を熱くし、「ママ、だいすき」と言われるたびに、"I love you" とは異なるニュアンスを秘めた「だいすき」なることばの重みを肌で感じていた頃でもあった。
アメリカで育つ子にどう日本語教育を行うかというテーマは、えてして母親同士の論争につながりやすい(ましてや補習校が話題にのぼれば火花が散りやすいものである。面接試験を潜り抜けて補習校に子供を通わせることがステータス・シンボルだといわんばかりに鼻高々になる親もいれば、「バイリンガル教育と銘打って土曜日にまで学校に通わせて」と「教育ママ」振りを辛らつに批判する親もいる)。かくいう私自身は、日常での話しかけや読み聞かせには、なるべく日本語を使うように努めてきた。それでも、根がズボラだから、バイリンガル教育と胸を張って言える程のものはしてこなかった。実際、バイリンガルでございと胸を張れる程の日本語力が我が子にあるとは思えない。いや、同年齢の日本人の子供に比べれば、息子と娘の語彙は限度がある。「ママ、どうしてきょうはめがねをはいてるの?」たとえば、娘はこんな風に訊いてくる。英語では、めがねを「かける」も、靴を「履く」も、同じように
"wear" なる動詞で済ませられるから、その感覚で日本語を喋っているのは明らかだ。その程度なら、「まあ、仕方ないか」と苦笑で済ませられるが、息子にいたっては、「明日、先生にアスクしてみるよ」などと奇妙な日本語が口を飛び出す始末だ。"Ask"
を「アスク」とわざわざカタカナの日本語に置き換えるのだ。「『先生に聞いてみるよ』 でしょ。」すかさず、私が横槍を入れる。「ああ、この子達はやっぱりアメリカ人として育っていくのか」と溜息を漏らしながら。
それでも、息子と娘は、日本語で母親や友達とコミュニケーションをとり、バイオリンの個人レッスンも日本語で受け、ひいては「おてがみごっこ」と称して母親の私あてに情熱的なラブレターを綴ってくれたり、ブログに載せる作文もどきを書いたりしてきた。私が仕事で東京に滞在する際には普通の日本の学校や幼稚園に通わせるし、当人達もそれを切望する。彼らの日常には、日本語と英語の双方がごく自然に融け込んでいるのだ。親子で、『だんご三兄弟』(この歌は、とっくに古い部類に入るのだろう)を大声張り上げて合唱したり、『ぐりとぐら』
から 『車のいろは空のいろ』 まで、かつては私自身が親しんだ物語の世界に浸ることもある。彼らが日本語を解するお陰で、私まで楽しませてもらっている。「アメリカで育っていく子に、わざわざ日本語を教える意義は何ですか?」そんな風に(まるで、当方の「教育熱心」ぶりを槍玉に挙げでもするかのごとく)質問を投げかける人には、こう言いたい。「どうしてって?楽しいからですよ。」国際人に育て上げるだの何だのと優等生的発言はしたくない(大体、"国際人"
なんて正体不明の言葉は、どこかの国の英会話学校の広告をこぞって飾る宣伝文句としか思えない)。ことばは、楽しい。ことばは、心を豊かにしてくれる。そう、ことばは、いつも私の傍らにあった。特に、書きことばは。
紺の制服姿で電車通学を始めた12歳の春。少女趣味が匂い立つようなキャラクター物のノートに夜ごと向かっては、詩なり散文なり、心に浮かぶことばを書き留めるようになった。ロックの魅力にとりつかれてからは、辞書と首っ引きで歌詞カードを訳した。果てには、つたないながらも英語で自分自身の歌詞を書き始め(将来はこれらの歌詞に曲をつけてくれるミュージシャンに巡り合えると大真面目に信じていた)、それが新たにノートを埋め始めた。語学に関心を抱く女子学生は多い。「私、英語が好きだから、将来は外大に行って通訳になりたいの」などと夢を語る級友が周囲には何人もいた。だが、私の場合、語学好きというのとはニュアンスが異なった。外国語の放つエキゾチックな魅力に心を惹かれはしたが、言語そのものよりも、ことばが心に描き出す情景に魅了されたのだ。それは、小説の冒頭を飾る一文だったり、店内で背景に流れる曲のフレーズだったりする。さりげないことばが、水に投げ込まれる小石のように心を波立たせ、独自の物語を紡ぎ出す。そのプロセスが、とてつもなく心地よかった。
たとえば、日本の女性誌のページを繰っていた時、目に飛び込んだマヨネーズの広告。といっても、マヨネーズのチューブがどんと真ん中にそびえた写真を想像してもらっては困る。その広告では、セピアがかったスクールバスの写真を背景として、2人のアメリカ人の青年を主人公に短編小説の序章を彷彿とさせる小さなストーリーが展開した。その広告全体からアメリカの空気が匂い立つように思え、ひとつひとつのことばを堪能するように幾度も文章を読み返した。アメリカでの1年にわたる滞在を終え、後ろ髪引かれる思いで日本に舞い戻り、いつかは海の向こうに帰りたいと叫びたいような衝動を持て余しながら生活していた日々だったこともある。だが、私の心をわしづかみにしたのは、その広告の一番下に書いてあった文だ。「遠くで、イーグルスが歌った」。その一文を咀嚼するうちに、イーグルスの名曲
『ホテル・カリフォルニア』 のむせび泣くようなギターの調べが耳の奥に響き、アメリカ西海岸の光と風に包まれるかのような錯覚さえおぼえた。そして、そのフレーズに創造意欲を?き立てるようにエッセイを書いた。『America,
Ugly and Beautiful』。それがタイトルである。醜くも美しい国アメリカの影と光。15年も前に書いたこの記事には、第2の祖国ともなったアメリカへの私自身の万感の想いが溢れており、我ながら最も気に入っている作品のひとつである。
だが、この作品に限らず、これまで書いてきたエッセイのひとつひとつには、大なり小なりそれぞれの物語が背景に見え隠れし、当時、胸を塞いでいた悲しみや、ひそかにかみしめていた喜びまでが行間から漂うような気がする。光栄なことに本に掲載され海外で読まれた記事もあれば、活字にこそなったものの取り沙汰はされず、ひっそりと記憶に葬られたかのような記事もある。自己満足に過ぎないのだろうが、それぞれの記事が自分の子供のようでもあり、それぞれに愛しい。そして、思う。書きことばの素晴らしいところは、こうやって思い出が形として残せることだと。達者な書き手である必要など無い。ただ心の呟きを綴る日記帳でさえも、歳月をへて読み返せば、自分の歴史を辿る道しるべとなる。
「アメリカで育つ子を、わざわざ土曜日に学校に通わせてまで日本語を勉強させる価値がわからない。バースデー・パーティやサッカーの試合を犠牲にしてまで学校通いなんて、子供が可哀相じゃない。もっと、肩の力を抜けばいいのに。」そう言う人が少なくない。それで、「土曜日をつぶす」選択をした「残酷な教育ママ」である我々に批判の矛先が向けられる結果ともなる。正直に言えば、私は教育ママへの憧れを持つ。子供の教育に熱くなるというのも、ひとつの立派なライフスタイルと思うからだ。だが、自分のプロジェクトでいつも忙しくしている上に元来のいい加減な性格が重なって、教育熱心には程遠いのが現実である。埃をかぶる一方のワークブックを横目に、「もっと親子で勉強の時間を作らなくちゃ」と反省はしつつ、実際にはそのような時間を作れていない。いや、作っていない。それを反映してか、息子の日本語の読み書き、特に漢字の習得は遅々としている。入学したばかりの一年生が書くような大きな文字、そして平仮名が主体を占める文章、それが彼の書く作文の特徴である。赤ペンを片手に苦笑を繰り返しつつ、「ま、仕方ないか。細く長く続けていこう」と諦めにも似た独り言を胸の内で繰り返す。皮肉なことに、3歳下の娘の方が日本語を書くことに熱意を示す。ノートの切れ端だのスターバックスのナプキンだのを引っ張り出しては、毎日のようにいそいそと情熱溢れる恋文を綴ってくれる。「まま、だいすきよ、まま。」「しんでも、おともだちだよね。」それらのラブレターを束ね大切に思い出の箱にしまい込み、やがては娘の成長した姿に嬉しさと寂しさを同時に感じつつ、一通一通を手に目頭を熱くする日が訪れるのだろう。これもまた、書きことばの恩恵のひとつである。
ことばは、無限の可能性を秘めた宝物だ。ゆったりとしたペースで構わない。息子と娘には日本語と英語、その双方で、ことばの豊かさ、奥深さ、美しさを堪能できるようになって欲しい。きらきらとしたことばで、人生のノートを溢れさせて欲しい。それは、ことばを慈しみ、ことばのパワーに勇気を分けられ、結果的には
"profession of words" と呼ばれる職業を選択した母親の切なる願いでもある。
掲載:2009年8月
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