著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。
2月 X 日
蝉しぐれが降り注ぐ晩夏の東京に降り立ち、半年が過ぎた。車社会の余韻を引き摺っていた私は、こちらに着いたばかりの頃、呆気にとられたものだ。「半蔵門線の渋谷経由で田園都市線の三軒茶屋まで行き、そこから世田谷線に乗り換え。」「溜池山王から南北線で市ヶ谷まで行って、JR の四ッ谷駅から中央線快速で三鷹へ。」 ハンゾウモン。タメイケサンノウ。東京の人達は、エキゾチックな駅名をさらりと口にしては、さりげなく複数の乗り換えをこなす。(ちなみに、タメイケサンノウ、つまり溜池山王の駅は、私達母子が勝手に「はとやまさんのおうち」と名づけた首相官邸に近い。)過去のエッセイでも、メトロ三昧の生活を描写してきた。都心の日常は地下鉄抜きには語れない。車で学校の送り迎えをし、時には CD から流れる曲に身を揺すりもしながら高速道路を走っていた夕暮れ時は遠くなった。今や、私もいっぱしの東京人よろしく、「六本木か。丸の内線で青山一丁目、そこから大江戸線に乗り換えね」などとやっている。やがてシアトルで再びハンドルを握る時、メトロの喧騒を懐かしみ胸を熱くするのだろう。車はプライバシーという空間を与えてくれる。東京のビルの狭間で、そのプライバシーを喪失した。代わりに得たのが電車なるコミュニティである。「コミュニティ? あの通勤ラッシュでも?」呆れ顔をする人もいるだろう。だが私には、見知らぬ者同士が押して押される通勤電車にさえ、ささやかなコミュニティが息づくように思えてならないのだ。オレンジ色のスカーフを巻いた OL。歴史小説に没頭する会社員。職場に向かう足取りが重い月曜日の朝などは、彼らの背に無言の勇気を分けてもらえる。アイラインで目の周りを黒々と縁取った茶髪の女性が、言語聴覚士の資格本にラインマーカーを丹念に引く姿を目の当たりにすれば、つい先輩風を吹かせ、「がんばってね」と肩をポンと叩きたいような気になる。仕事。子育て。将来。私には悩みが尽きない。一方で、こうも思う。それらはどこか「のどか」な悩みだと。「あんたね、そんなことで悩んでいるうちは幸せな証拠だよ。」そんな声がどこからか聞こえてくるようだ。だが、同じように「幸せな悩み」を抱えつつも自分が幸せだとは認めようとはせず、大袈裟な溜息をついたり、時には自らを悲劇の主人公に仕立て上げたりもしながら、昨日と代わり映えしない今日への倦怠感と安堵感を同時に募らせる。そんな人が私の横に、前に後ろに立っているのかもしれない。無数の物語を詰め込んだメトロ有楽町線の電車は、今朝もまた Japan, Inc. という名の終着点に向かって走る。
2月 X 日
黄色のシャツにオーバーオール。トレードマークのファッションで彼女は微笑む。「ペコちゃん!」今日も娘と私は彼女に向かって駆け出す。バイオリンのレッスンの帰路、大型スーパーの一角を飾る不二家へと必ず足を運び、店頭に佇むペコちゃん人形に挨拶をするのだ。ペコちゃんグッズ収集は、来日してから娘と私の新たな趣味となった。保育園に預けっ放しの娘とささやかでも心の交流が持てたらという親心もある。今や、「ねえ、見に来る?」と母親仲間に誘いの声をかけるまでにコレクションが増大した。ペコちゃんブランケット。ペコちゃん時計。ペコちゃんエプロン。ペコちゃんランチョンマット。人形やバッジ、文房具に至っては数が知れない。知人友人からの贈り物も多い。
東京に住む恩恵のひとつが、全国唯一の「ぺこちゃん焼」(ペコちゃんの顔をした今川焼きの一種)を、フランス人が多いことで知られる神楽坂の不二家で買えることだ。カスタードやチョコレートが詰まったペコちゃん焼の出来立てをフーフーとその場で頬張っては、「よかったねー、東京にいて」と母娘は頷き合う。
「ぺこたん(娘は時おり、そう呼ぶ)は6歳。おんなじよね。」我が家の6歳児が満面に笑みを湛えて言う。(でもね)私は心の中で呟く。(ペコたんの本当の年齢は60歳なのよ。)所狭しと部屋に並ぶペコちゃんグッズは思い出と共にどこかにしまわれるのだろう。娘と私が母と子ではなく、二人の女として向き合い微笑み会える日が来ることを楽しみにもしているが、実は思うより早くその日が訪れるのだろう。不二家のクリスマスケーキを後生大事に抱え帰宅した亡き父のスーツ姿が脳裏を掠める。あのケーキに歓声をあげた少女は今の娘と同じような年齢だった筈なのに。永遠の6歳、ペコちゃんのように時を止めることはできないものか。「今日も会えたね、こんにちは。みんなの友達、ペコちゃん。」一抹の寂しさを噛み締めながら、インターネットで覚えた「ペコちゃんダンス」を今日も娘と歌い踊る。
2月 X 日
「子供二人引き連れて単身で東京赴任とは、不安が大きいでしょう。」「あなたって勇気のある人ね。」「私には真似できない離れ業よ。」思わず苦笑がもれる。渡航準備に追われていた夏のシアトルで、そして秋風が吹き始めた東京で、友人や知人から舞い込んだメールに、決まってその手の文章があったのには考えさせられた。大変といえば大変な面もある。夫や実家の手を借りられる訳ではないから、子供が病気でもしたらどうしようかとビクビクし、綱渡りをしているような緊張感にもおそわれる。だが、配偶者や実の母がそばにいる、いないに関わらず、「子供が熱でも出したら」という危惧は、働く親にとって永遠の課題ともいえる。私がとりたてて大変な立場にあるとは思えない。周囲のワーキングマザーには、毎朝4時半起きの人もいれば、双子の乳児を含め4人の子供を抱えながらフルタイム勤務を続ける人もいる。4時半といえば、私など大の字で寝ている。そして、うちの子供はたったの二人、双生児でもなければ乳幼児でもない。むしろ楽をさせてもらっている。ただ、「もし病気になれば」という危惧だけはまとわりつき、いざという時を想定して有給休暇を溜め込んできた。その休暇の一部を堪能すべく、「ま、おかあさんだって、たまにはリラックスしてもいいよね」と心で呟き、「ご苦労さん」とばかりに、ちょっとしたご褒美を自分にプレゼントした。丸一日休みをとり、前回のコラムにも書いた「路面電車よろしく住宅地を駆け抜ける、東急世田谷線のかわいらしい二両編成の電車」の一日切符を買い、世田谷散策の一人旅に出たのだ。ピンクやマリンブルーの電車にガタゴトと揺られ、思いつくままに駅で降りてはまた乗ってを繰り返す。受験生の一群が試験場に向かうのを横目に商店街をぶらついたり、小学校の校庭で繰り広げられる体育の授業を遠くからぼんやりと眺めたり。水曜日の昼下がり、ゆるやかに時は流れる。みかんと食パンの入った袋を提げ駅前スーパーのドアを開けば、下校途中だろう、ランドセルを背負った男の子が二人、弾けるように笑いながら傍らを走り去る。踏み切りの遮断機が下りる。買い物帰りの主婦達が自転車を停める。冬空の下、電車の轟音を背景に泣きたいような気持ちにとらわれ、薄日の中で立ちすくんだ。
3月 X 日
ガラス越しに眺める街は、傘をさして足早に歩く人達が目立つ。雨空、そしてエスプレッソの香り。シアトルで過ごした幾つもの午後を彷彿とさせる火曜日。麹町大通り、通称・新宿通りのカフェでこの原稿を書いている。早春とは名ばかりの今日この頃、雪もちらつくのではと予想され、人に会うたび、「三月なのに、この寒さはこたえますねえ」と決まり文句で挨拶を交わす。「パステルの光に包まれた永田町」。先月は、そんな締めくくりで春めいたエッセイを書いた。皮肉なもので、その原稿をシアトルに送った途端、グレーの日々が舞い戻った。皇居でのマラソン大会を心待ちにしていた息子に励ましの言葉をかけ出勤すれば、「降雪のためキャンセル」という校長先生のメールが転送されてくる始末だ。それでも、季節は着実に移ろいでいる。「新一年生、ご入学おめでとう。」千代田区役所からの通知にぴょんぴょんと飛び跳ねる娘は、卒園式を目前に控える。クラスメートのお母さん方とメールを交換しては園への記念品贈呈やらアルバム作りやらの計画を進める傍ら、「来月にはランドセルを背負い登校するようになるなんて」とお互いにしんみりもする。4年生に進級すればクラブ活動が始まるとかで、何を選ぶのやらと楽しみにしていたら、音楽部を第一志望にしたと息子がこともなげに報告する。性懲りもなく親子喧嘩を繰り返し、「せめて細く長く」と妥協もしながらバイオリンの稽古をさせてきたが、それはまんざら無駄でもなかったかと、彼の意外な選択がやけに嬉しい。「大学には行かないけれど、専門学校で好きな勉強をするって張り切ってるのよ。」高校生の娘の卒業式に出たばかりというシングルマザーの友人が教えてくれた。彼女自身も長年勤めた会社を辞め、小さいながらも店を開く準備を始めるという。それそれの春が始まろうとしている。
「東京の春はね、皇居のあたりが特に素敵ですよ。」そう教えてくれた人がいた。私達にとってもうひとつの故郷となりつつある千代田区は美しい。「東京の玄関口」、東京駅の赤レンガ駅舎前に拡がる一等地・丸の内には、なるほど超高層ビルがでんとそびえ、高級ブランド店がひしめく。だが、パサパサに乾いたコンクリートジャングルではない。とかく無機質になりがちなビル街も、皇居外苑の樹木やお堀の水が潤いを与え、江戸城の歴史の薫りにも満ちて、何とも形容のし難い風情を放つ。桜の季節には、その美しさにも磨きががかることだろう。
コーヒーカップを返却棚に片付け、ラップトップを鞄にしまいこみ、ネオンに照らされ始めた新宿通りへとドアを開く。案の定、雨は雪に変わっていた。「これで三月だってよ。」 高校生グループの嘆きが背後から聞こえる。闇に舞う白い妖精たちの到来を、今夜だけは歓迎したい。「東京で見る雪はこれが最後ねと、寂しそうに君が呟く。」そんなフォークソングもあったよね、とその箇所だけ口ずさみながら、横断歩道を渡った。
掲載:2010年3月
お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。