著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。
ひとつ、またひとつ。遥かな日々の断片がぽろぽろとこぼれ落ちる。宿題の読書感想文を書こうにも一向に筆が進まず、疲れたように回る扇風機が運ぶ風を背に、ぼんやりと深夜放送を聴いていた夜。書道教室への道すがら、踏切で遮断機が下ろされ走り去る電車の轟音を聞きながら思案にふけった黄昏時。セピアがかった映像たちが矢継ぎ早に心の中に映し出され、コラージュを織り成す。温かい霧雨が肩に降り注ぐような感情が心の内側を充たす。
スクリーンの向こう側から響くサウンドが遠い日々の記憶を連れて来る。青春なんてきらびやかな季節はドラマの世界にしか存在しないと苦々しく信じ込んでいた頃。昼休みには友達と笑い転げていても、ぽっかりと胸に巣食う空洞は埋められない。思春期にはありがちな悩みと一喝されてしまうかもしれない空虚感と孤独感が日増しに募り、十代の少女には重過ぎた。そんな頃によく聴いていたフォークソングがある。カセットレコーダーのテープを幾度も巻き戻してはメロディと歌詞に心を浸すたび、ささくれだった心に清澄な水が差し込まれるような気持ちに充たされた。あの歌と再会したい。だが、そんな機会も二度となかろうと諦めていた。ヒット曲には程遠い無名の歌である。レコードでいえば A 面どころか B 面にさえ選ばれないまま、泡のようにはかなく消え去る、そんな哀しい曲だ。
だが、インターネットとはありがたいものである。半信半疑のまま題名で検索すると、いとも簡単にその曲が見つかり感嘆した。クリックひとつで優しいメロディが流れ出す。家族が寝静まった静寂の中、過ぎた日々を散策する旅へと立つ。同じように季節の移ろいを越えてこの曲を慈しんできた、おそらく同年代の人達がメッセージを寄せている。
「学生時代、悲しいことがあるたび、この曲を口ずさむと心が優しくなりました」
「初めてロードショーに誘った恋人を思い出しました。今でも遠くから彼女の幸せを祈っています」
コンピュータという無機質な世界を通して生まれた小さなコミュニティが妙に温かく感じられる。それぞれの人は、通勤電車を待つプラットフォームで深呼吸をしたり、洗濯物をたたむ手を休めたりする時に、ぽろりとこぼれ落ちる思い出のかけらに胸を熱くし、時にはその想いを明日への希望へとつなげながら人生という旅を続けているのだろうか。「同志」達へと励ましの言葉をスクリーンの向こう側より贈りながら、再度クリックし、「B 面未満」の曲に耳を傾けた。
「A 面」、「B 面」、そして「B 面未満」。 そんな分類が、キャリアの世界でも暗黙のうちに世間一般の尺度によってなされているような気がしてならない。ふと私の周囲を見渡してみると、押しも押されぬ成功をおさめた人が少なからずいる。むろん成功をどう定義するのかにもよるが、収入だの名声だので判断するとしたら、同窓生で直ちに顔が浮かぶのが3人。1人は政治家、2人は芸能人として、たやすく「A 面」の範疇に入る。中でも S 子はシンガーソングライターとしてヒットを飛ばした挙句、何やら賞も受賞したらしい。日本を離れて長い私には断片的な情報しか届かないが、それをもってしても彼女が音楽界で確固たる地位を築いた事実は明白だ。日本語書籍の店で何気なく開いた雑誌から彼女の大輪のような笑みが顔を覗かせた瞬間は息を呑んだ。手に職もつけないまま若くして結婚した私は、自問自答を重ねた挙句、法曹界を志し復学を思案していた矢先だった。彼女の CD を聴くうちに、感性きらめく歌詞と伸びやかな声とがあいまって独特の物語を紡ぎ出すのに圧倒された。かつて同じように遅刻の常習犯として、ポニーテールを揺らし学校へと続く坂道を駆け上っていた彼女。その旧友の活躍は眩しかった。いや、眩し過ぎた。「私は何をしているのだろう。未だに自分探しの最中だなんて。」劣等感と焦燥感の双方が突き上げた。
S 子の領域には達しなくても、華々しい成功をおさめた同窓生は幾人もいる。語学力に加え人も羨む容姿に恵まれた F 子は、フライト・アテンダントとしてヨーロッパの航空会社に勤め、凛とした制服姿で女性誌のグラビアを飾った。生徒会長も務めた N 子は、ディスクジョッキーとして、小さいながらも自分の番組を持ち映画の批評をするまでになった。いわゆるカタカナ職業以外でも、営業や経営などの分野で頭角を現した人達もいる。彼女らの活躍ぶりを海の彼方から知るたびに、夜間大学の図書館で、または上司の叱責が飛ぶ職場で、自分の遅々とした歩みや存在感の小ささに嫌気がさし、うずくまりたいような衝動にかられた。
だが言うまでもなく、「A 面」や「B 面」の道を歩む人は氷山の一角に過ぎない。私自身を含め大半の人達は華やかな世界とは無縁のところで旅を続けている。才能だの美貌だのに恵まれ高収入や名声を獲得する人達が
A 面や B 面の人生を生きているとすれば、悲しいかな、私達の人生は「B 面未満」に相当するのかもしれない(やっかみ半分で「才能だの美貌だの」と書いたが、成功とは人知れぬ努力を重ねた結果であることは百も承知だ。だが、そこまで努力ができること自体がひとつの才能だという見方もある)。豪語に値する程の業績を積んだ訳でもない。スポットライトに照らし出される訳でもない。雑居ビルの一角にある事務所の窓辺に立ち空を仰いでは吐息をついたり、帰路の途中で立ち寄ったスーパーマーケットでせわしげにカートを押したりといった日常に埋もれては、昨日と代わり映えのしない今日をうらめしく思い、一方では安堵もしながら、ささやかな人生を生きている。そんなものだろう。
来た道を振り返る時、迷い道や廻り道の長さにうんざりし、私は自分に問いかけずにいられない。もっと颯爽とした、もっと毅然とした生き方はできなかったか、と。我が子の前でこそ気丈な大人を演じ、いっぱしの説教も垂れてみせるが、実は弱い心を隠し、時には背を丸めて歩いてきた。これからも立ちすくんだり、道に迷ったりを繰り返してはヨタヨタと不器用に歩いていくのだろう。だけど、それでもいい。前に向かって歩いている限りは。
どんなにささやかであろうとも、世界に一つしかない物語。その枠組の中では、誰もが主人公として、また作家として精一杯の物語を紡く自由を与えられている。「静かにきらめく。」何かの本で出逢ったこの言葉が私は好きだ。鮮やかな色彩を放つ必要は無い。世の賞賛を浴びる必要も無い。風のようにひっそりと人の記憶からすり抜けたかのような無名の歌が季節の移ろいを越えて心に染み明日への勇気を分けてくれるように、小粒ながらキラリと光る。そんな生き方があっていい。その静かな歓びこそが実は仕事の醍醐味、いや人生の醍醐味なのかもしれない。食卓の白い湯気や車窓の風景。シアトルの夜空を背景に優しい旋律が心に映し出す映像たち。ほのかな陽だまりのような想いを胸に灯し、「さあ、明日もがんばって生きてみようか」と自分に向かって呟いた。
掲載:2009年4月
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