著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。
カンナ。この言葉の響きが好きだ。そう、神無月。柔らかな陽ざしの中、澄んだ空を遊泳したいような気持ちになる。お月見団子を味わいながらのお茶会。秋祭り。芋掘り遠足。子供達が持ち帰る予定表には、日本情緒が堪能できるイベントが目白押しだ。清々しい秋風の吹き抜ける東京より、今月も日記形式でささやかなメッセージを皆さんにお届けしたい。
9月 X 日
「東京はね、眠らない街なんだよ。」8歳の息子がいつになく真剣な表情で呟く。「大人びたことを言って。そんな表現、どこで覚えたのよ。」私は苦笑混じりで聞いたものだ。有楽町駅に向かって歩く夜、彼の言葉がふと脳裏を横切る。初めて終電が出る寸前まで残業をした夜。「うら若き」なる形容こそ不釣合いだが、一応は女性である私、深夜に駅までの長い道をトボトボ歩いても安全かしら。そんな危惧を抱きつつビルを出たが、まさに杞憂に終わった。ここにも、そこにも、「同士」達が闊歩している。ダークスーツ姿のサラリーマン。職場の花にふさわしいファッションに身を包み、パンプスの踵の音を軽やかに響かせながら歩く女性陣(歩く時間が長いにも関わらず、日本女性の多くはどうしてあんなに踵が細く高いお洒落一辺倒の靴を愛用するのだろう)。ワーク・ライフ・バランスなんぞというフレーズは絵に描いた餅に過ぎないという現実を目前につきつけられる残業大国。終電なんて、まだ楽な方だ。2時、3時まで仕事をした挙句、タクシーを飛ばして家路につく同僚も少なくない。その証拠に、真夜中であってもビルの外には、お客さん待ちのタクシーがずらりと列を成して待機しているらしい。「らしい」としか書けないのは、私自身はそこまで体験したことがないゆえ、聞きかじりに過ぎないからである。「眠らない街ね、うん、その通り。」妙に感心しながらプラットホームへと続く階段を下りる。滑り込む電車は満員だ。身を縮めるようにしてドアの近くに立った途端、職場から支給されたブラックベリーが鞄の隅でブルブルと振動を始める。深夜であろうが仕事関連のメールは次々と届き、打てば響く速度で返事も返ってくる。これが日本だ。
9月 X 日
知人宅を訪ねて行った週末の黄昏時、思いがけず道に迷う。目に入るのは、見慣れない、それでいて郷愁を呼ぶ、矛盾しているように聞こえるが、そんな光景だ。「聖教新聞取扱所」という表札を掲げた木造の平屋。「どうぞ取らないでください。」ペン書きの自家製サインが悲しみを滲み出して傍らに立つ植木鉢。コインランドリー。路地裏の自転車。狭い道を巧みに走り抜けるスクーター。台所から漏れるおでんの匂い。人影のない校庭で砂埃を上げ自転車を乗り回す少年。ぼうぼうと雑草が伸び放題の空き地の前に停められ錆びついた自転車と、そのカゴに放り込まれた煙草の空き箱。これまで私が見てきた東京は、明らかに違う世界だった。ネオンの洪水の中、喧騒が夜空に渦を巻く銀座。ブリーフケースを提げたビジネスマンがビルの狭間を闊歩する丸の内。ミニスカートにレギンスというスタイルの女性が恋人の腕にからみつくようにしてレインボーブリッジの夜景に見とれるお台場。それは、「東京」ではなく、「Tokyo」である。だが、前者の世界の方が、グラビアを飾る非日常的な美しさよりも、ずっと強靭なパワーを秘めて何かを雄弁に語りかけてくるような気がしてならない。
9月 X 日
シアトルが懐しい。校庭に入った瞬間、そう思った。私達家族はシアトルの補習校で運動会を体験してきた。今年の6月には、初めてハイスクールのフットボール・フィールドを借りて行われ、そのスケールの大きさは特筆すべきものだった。ところが、どうだ。都心の小学校での運動会は、校庭の狭さから親はずっと立ちっ放しで見学という有様だ。それ以外にも、補習校との違いにも驚かされたのは母親の服装である。シアトルでは、大多数の母親がジーンズにスニーカーという格好だった。だが、こちらでは、色褪せたジーンズなど履いている人は見当たらない。それどころか、タイトスカートやワンピース、ご丁寧にもストッキングやパンプス(日本女性は本当にこれが好きだ)を履き、ディオールなどのブランドのロゴ入りの紙袋を抱えた人もいる。「奥様、どちらのパーティへ」とでも聞きたくなるようなファッションが運動会に華を添える。それはさておき、やはり本場の運動会には気合がこもっている。学生服を着た勇ましい生徒が率先をとる応援合戦など見事だ。騎馬戦だの学年ピラミッドだの、「ああ、あれ、私もやったっけ」と懐かしさがこみあげる。幼稚園から6年生まで全員が参加しての大玉送りなどは、やる方も見る方も実に楽しい。9月の空に万歳三唱が響き、大イベントが終焉を迎えた。
9月 X 日
インド王侯貴族料理。ブラジリアン・バーベキュー。勤務先の事務所が入っている高層ビルには、いかにもグルメが好みそうな洗練されたレストランが軒を連ねる。だが、そのような場所で私が昼食をとることは皆無だ。大抵は、ビル内にある「コンビニ」(この呼び名に私はどうしても照れを隠せないのだが、わざわざコンビニエンス・ストアと呼ぶ方が日本では不自然なようだ)に出向き、210円の「ジューシーキャベツサンド」やら、380円の「オムライス弁当」やらを買っては、デスクでメールをチェックする傍ら食べる。お昼時の店内では、同じような物を抱えた勤め人がレジの前に長蛇の列を作っている。女性誌には、「OL のお弁当拝見」などという見出しが躍る記事で、たとえばギンガムチェックのクロスにくるまれた洒落たお弁当箱から、さやえんどうの煮物やら、きれいな焦げ目がついた厚焼卵やらが顔を覗かせたりしている。だが、少なくとも私は、職場で手作りのお弁当を開けている女性を見たことがない。健康のためにはその方がいいと知りつつも、早起きして卵を焼いたりするぐらいなら、10分でも、いや5分でも長くベッドに横たわっていたいというのが多くの社会人の本音だろう。
9月 X 日
これみよがせな身振り手振りで、演歌歌手がなにやら歌っている。運転席の後部に付いている小さなスクリーンを、私は苛立ちながら見つめる。車は皇居のそばを走っている。「あの高貴な方々のお宅か。」そんな風に思いながら、もどかしく腕時計に目をやる。「お腹ペコペコだよー、ママ。」そんな声が聞こえるようだ。児童館の学童クラブでは息子が、そして保育園では娘が、それぞれに首を長くしてドアを凝視している頃だろう。今日もタクシーで子供を迎えに行く始末だ。最近は連日のようにタクシーを利用している。「結構なご身分ね」と皮肉のひとつでも言われそうだが、制限時間ぎりぎりまで席を立たない私に、駅までの長い道を歩いた挙句、満員電車に揺られる余裕などあろう筈もない。車から飛び降りるようにして、息子が待つ児童館へと駆け込むと、同じように「滑り込みセーフ」組の母親がいる。挨拶もそこそこに、今度は娘を迎えに走る。タクシー代。保育代。ああ、お金が飛んでいく。ただでさえ物価が高い都心での生活にあっぷあっぷの毎日なのに。私って、何のために働いているの? 性懲りもなく兄妹喧嘩の火花を散らす子供達の仲裁役を務めながら歩く夜道で、自問自答を繰り返す。「ここ、寄ってくか。」街灯の明かりの下、すれ違う会社員のグループが蕎麦屋の暖簾をくぐる。今日も一日が終わろうとしている。
10月 X 日
専業主婦のお母さん達に私は親切にしてもらっている。「あなたは忙しいから」と前置きした上で、「学校の今度のイベント、上は白のポロシャツで下は紺のズボンと決まっているんですよ。もしかしたら、忘れていらっしゃるんじゃないかしら?」親切にも、そんな風に連絡を入れてくれる人もいる。図星である。「大丈夫、うちに古いのがあるから、どうぞ使って下さい。」そこまで申し出てくれるのだから、ありがたい。そんな母親仲間と、子ども会の帰り、肩を並べて帰路につく。夏服でもうっすらと汗ばむ日曜日の午後、居眠りしたかのような街をゆっくりと歩く。ヨーヨー釣りに興じ、綿菓子を食べた子供達はすこぶる機嫌がよい。こんな贅沢な昼下がりは、久し振りに満ち足りた気分を味わえる。
10月 X 日
みるみるうちに、白いハンドタオルが赤く染まり出す。「ママ、あした、シアトルにかえりたいよう。」狂ったように嗚咽する娘の口から、そんな言葉が幾度も吐き出された。ふざけて室内で走り回るうちに転び、思い切りサイドテーブルの縁で額をぶつけたのだ。傷は思いのほか深いらしい。痛みと同時に流れ出す血に恐れをなしたのか、5歳の娘はタオルを額におしつけたまま、なかなか傷を見せてはくれない。こんな時はどうしたらいいのだろう。私はただオロオロするばかりだ。真夜中、タクシーを走らせ、救急病院を2ヶ所ハシゴする。最初に訪れた病院では、専門医が当直でないという理由から、一時的な処置を施されただけで帰された。合点がいかず、あちこちに電話をかけた挙句、再び車を呼ぶ。とりあえずは脳外科で CT スキャンを終えてから、形成外科の診察を受けることとなる。夫はアメリカにいるから、息子を一人残していく訳にもいかず、2児を引き連れ真っ暗な廊下を歩く。しんと静まりかえった待合室。さすがにくたびれた子供達は、かすかな寝息を立て始める。心地良い眠りの中にいる2人の顔を横目に、私自身も無防備に声を放って泣き出したい衝動にかられた。「あした、シアトルにかえりたいよう。」ずんと高層ビルが立ち並ぶこの大都会で、私にはすがりつける人もいない。子供達の前では毅然とした大人を演じる母親だって、時には弱みをさらけだして甘えてみたい。「かえりたいよう。かえりたいよう。」
「娘がケガをしました。今、病院で CT スキャンを待つ最中です。」上司や同僚にメールを打つ。担当する特許侵害訴訟の件でレポートを書こうと PC に向かった矢先に娘がケガをしたのだ。仕事のメールは容赦なく入ってくる。夜更けの新宿の病院で、静寂の中に響くブラックベリーの振動音を私は切ない思いで聴いていた。
掲載:2009年10月
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