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第49回 5分間のエメラルド・シティ:スターバックスへの想い (1)

著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。

黄昏時の新宿通り

ポツリ、またポツリ。雨の矢たちが、紀尾井町の舗道を濡らす。ブリーフケースを抱えコンクリートの街を闊歩する黄昏時、待ってましたとばかりに折りたたみ傘を取り出す。モネの睡蓮をモチーフにしたライトグリーンの傘。鳴門の国際美術館でお土産に買ったこの傘は、降りしきる雨の中でも、開いた瞬間、彩リ豊かな絵画が頭上に拡がるような気にさせてくれるから、お気に入りだ。グリーンといえば、もうひとつ。新宿通りの横断歩道の向こうに見える文字。STARBUCKS COFFEE。夕闇が舞い降りた街で、その緑色の文字が視界に飛び込む瞬間、ふっと心に灯りが灯されるかのような気がする。キャラメル・マキアートでもいい、抹茶ティーラテでも、ホワイトモカでもいい。体と心を温めてくれる一杯、そして空間が欲しい。ガラス貼りの世界に吸い込まれるかのように、扉に手をかける。英字経済誌を読む外国人ビジネスマン。スマートフォンをいじる女性。近くの上智大学の学生だろうか、談笑する学生グループ。限られた空間の中に、それぞれの小さな世界が生まれている。コーヒーの香りが溢れる中、流れるふんわりとした時間。あのドキュメント、あの会議、あのデッドライン。目先の仕事に追われアタフタする時でも、スターバックスの店内にいる時間だけは、たとえ5分だろうが、土曜日の昼下がりのような贅沢な気分を味わえる気がする。そして、その5分間のぬくもりが、思いのほか深く胸に染み込みもする。東京都心での目まぐるしい生活では、殊更そうかもしれない。「まっ、いろいろあるけどさ。もうちょっと、がんばってみようよ。」 ラテのぬくもりを後生大事に掌に包み込み、再び新宿通りへと足を踏み出しながら、そっと心で呟く。

東京が大雪に見舞われた週末、店の前で雪かきをするスターバックス店員。

おでんや今川焼きが昔懐かしい匂いを放つ下町の風情漂う街並みに、散歩をする青い目の親子連れの姿が溶け込む麻布十番。キャロットタワーなるにんじん色の高層ビルが見下ろす中、世田谷線の可愛らしいミニ電車が走る三軒茶屋。靖国神社に皇居と、歴史の息吹を感じさせる九段。東京のそれぞれの場所に、それぞれの顔のスターバックスが待ち構えている。本場の味を堪能できなくなったとはいえ、大都会の雑踏の中で味わう5分間のエメラルド・シティを、私は慈しんでいる。

水無月のマーケット

大道芸人のバイオリン演奏が店頭で繰り広げられるスターバックス第一号店。

「シアトルに住んでいました。」 日本で自己紹介する時、以前はこう付け加えていた。「イチローのシアトルです。」 ところが、私が日本に居を移してまもなく、当のイチロー選手が移籍し、くだんの枕詞を使えなくなった。そこで、新たな枕詞の登場である。「スターバックス発祥の地、シアトルです。」 そして、ちょっぴり自慢気に語るのだ。時には、身振り手振りを交えて。「あのね、パイク・プレース・マーケットという市場があるんですよ。そこにオリジナル・デザインのロゴを掲げた世界最初のスターバックスがあるんです。私も、その界隈をよくぶらついていました。」「でも、何度その第一号店の前を通っても、すごい人だかりで。結局、一度も中に入らないまま、すごすごと引き帰してましたっけ。」そう語りながら、思い出す。タンブラーか、マグカップか、中身は知らぬが、掘り出し物が入った袋を手に、ほくほく顔で店を後にする観光客。店頭に陣取り、アカペラでゴスペルを歌う大道芸人のグループ。彼らに手拍子を打ったり、カメラを向けたりする観衆。その光景を思い描く瞬間、予想外の大雪警報に人々が怖気づく東京の空の下に立ちながらも、西海岸の初夏の風が頬を撫でるような気さえする。春から夏へと季節が疾走を始める頃のシアトルが、私は一番好きだった。水無月。そんな古めいた表現さえ新鮮に響く6月。まばゆい光が木々の間から矢を放つ頃。パイク・プレース・マーケットは、その季節の躍動感が絵になリ華やぎを増す場所だった。そういえば、店員の手から放たれた魚が宙を舞う名物魚屋の前で、よくストローラーを停めては、幼子と共に飽きもせず、その「芸当」を鑑賞したものだ。観光客の歓声や拍手の渦が、かすかに耳を掠めるかに思える。かつては日常に溶け込んでいたマーケットも、今や海の彼方。遠い目をしながら、有楽町の高架下を歩く。初老のサラリーマンが、買い物袋を提げた女性が、フリーター風の青年が、無表情に通り過ぎていく。夕暮れ時の寒空を背景に轟音をとどろかせ、山手線の電車が頭上を走り抜ける。春は、まだ遠い。

もうひとつの部屋

この広告に目を奪われ、バレンタイン・チョコレート・プレッツェル・モカを注文した東京の某スターバックス。

ぐり、ぐら。ぐり、ぐら。私が絵本を読む。マッシュルームカットが似合う息子。プリンセス気取りのワンピースを着込んだ娘。二人が神妙な顔つきで耳を傾ける。イーストサイドの自宅近くにあるスターバックス。ゆったりと流れる時の中、暖炉の前のソファに身を沈め、冷えた体を温めながら、即席ストーリータイムとしゃれ込んだ。子供たちが赤ん坊の頃から、私はこの店内で過ごすひと時に小さな喜びを見出していた。髪振り乱し、乳幼児の子育てと格闘していた頃。苛立ちも焦りもあった筈なのに、思い出という名のフィルターを通す瞬間、その日々もきらきらと煌いて映るから不思議だ。昨日の繰り返しに過ぎないじゃないかと溜息交じりの日常の中、ささやかな非日常の空間を創り出そうと、無意識のうちに居場所を確保していたのだろうか。バリスタや常連さんとのsmall talkも、いつしか店でのひと時に華を添えていたのだろう。時には、同じ年齢の子を連れた母親仲間と、プリスクールの情報を共有したこともある。店内でチューターとして高校生にスペイン語の手ほどきをする、やはり常連組の女性と親しげに話し込んだ時もある。彼女達は、今、どうしているのだろう。

「ほら、『らっぱ』は、こういうふうにかいてね。」 子供たちが成長するにつれ、スターバックスは読み聞かせをする場所から、「おべんきょう」をする場所へと変わっていた。「さあ、おうちをでようよ。」日本語補習校に入学したはいいものの、宿題に根を上げ、時には日本語への嫌悪さえ示す息子をせきたてるように、ワークシートや日記帳をバックパックに詰めさせ、車を走らせた。まさか、その数年後に子供たちが東京の学校に通おうとは夢にも思わなかった。まがりなりにも二人が日本語を操れるようになった陰に、実はスターバックスという環境が一役買っていたのだ。

私が司法試験の準備をした場所も、スターバックスにほかならない。大半の受験者は予備校に通うのに、ケチな私はお金を節約したかったこと、そして単独で勉強する方を好んだことなどから、連日、店に陣取っては問題集をひもといた。海の街で潮風と戯れ気分転換を図ろうと、ウエストシアトルくんだりまで足を運び、ビーチの脇にあるスターバックスを勉強部屋に見立てた午後もある。週末には喧騒に辟易させられるアルカイ・ビーチも、平日には異なる空気が漂う。波も風も光も、心なしか、もっとやさしく感じられる。フラペチーノを片手にその空気感に身を浸しながら、刑法や民事訴訟法の練習問題に取り組んだ。Third Placeとは、よく言ったものだ。こうして書きながら、改めて驚く。スターバックスは、いつだって私に、もうひとつの空間を提供してくれたじゃないか、と。

SODOを訪ねて

さくらホワイトチョコレートラテを注文した際、さくらの花びら舞うデザインに惹かれ購入した、お気に入りタンブラー。

アメリカ長期出張中、ダウンタウン・シアトル南部のSODO地区にあるスターバックス本社を訪問し面談をする機会に恵まれた。今日は、サンフランシスコ、明日はシンシナティ。そんな具合に、アメリカの都市から都市へと飛び回っては各地のグローバル企業を訪問し、法務・コンプライアンス部門のヘッドと面談をしていた時である。幾多の会社に面談の打診を入れたが、スターバックスが私の訪問依頼に快く応じてくれたのは格別に嬉しかった。Third Placeとしてこよなく愛してきた場所を提供してくれた、その会社で話を聞く機会に恵まれるとは、幸運としか言いようがない。あたかもソファでラテを片手に、仄かな湯気に包まれながら膝のノートパソコンで仕事をする、そんな雰囲気に社内は満ちている。カフェの延長線にあるような洗練されたオフィスだ。こんな空間で日々業務にいそしむ社員たちは、いやがうえにも自社ブランドを意識し、ひいては誇りを高めることにも通じるのではないだろうか。スターバックスは、世界で最も倫理的な企業の一社として7年間連続で選出される快挙を遂げた。人の口に入るものを商品として扱い、生命にも危機を及ぼしかねない企業として、法的・社会的そして倫理的責任を認識した上で、誠心誠意を込めたコンプライアンス活動を展開している。業務関連ということで、面談中に聞いた内容をここに記すことはできないが、私が今後キャリアを積み重ねていく上で有意義な体験を与えられたことに感謝している。長年のシアトルっ子ながら、あまり足を踏み入れてはこなかったSODO。ここで作ることができた思い出の重みをかみしめながら、シアトル市内へと戻るライトレールを駅で待った。

スターバックス本社訪問時での経験を軸に考えたことを、次回のコラムで取り上げたい。

掲載:2014年3月

お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。

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