著者プロフィール:神尾季世子
弁護士として、雇用法を土台としたコンサルティング・ビジネスに携わる。ライターとしても、雇用法、移民法、憲法、遺産相続など幅広い分野において執筆。代表作は GLOBAL CRITICAL RACE FEMINISM: AN INTERNATIONAL READER (2000, New York University Press)に収録された。フィッシュ・アンド・リチャードソン、モリソン・フォースターなど日米の国際法律事務所で訴訟関連プロジェクトに関わる。連絡先は、info@kamiolaw.com。当コラムのタイトルにある「プロセ(Pro Se)」は、ラテン語で “on behalf of oneself” という意味であり、弁護士を雇わずに個人の力で訴訟を起こす原告を指す専門用語。「自力で道を拓く」という私的解釈により著者の好む言葉である。
コミュニティが一体となって盛り上げる二年に一度の大イベント・山王祭
水無月の風が吹き抜ける。光を浴び緑が映える皇居のお壕沿いの道に、紫陽花が華を添える。「ワッショイ、ワッショイ。」水無月の千代田の空の下、活気みなぎる掛け声が響く。紫の半纏も板についたシアトルっ子の娘が、級友に混じって声を張り上げ、真剣な面持ちで山車を引いている。のぼりが立ち、お囃子が流れる街は、ほんのりと夏化粧をほどこしたようでもあり、その華やぎが見る者の心を浮き立たせる。江戸三大祭のひとつとして名を馳せる山王祭。また、この季節にめぐり会えた。「冷やし中華、始めました。」馴染みの店に貼られた短冊が、ささやかに放つメッセージ。息子と娘は、プールバッグを揚々と掲げて登校を始めた。校内での水泳授業とは、アメリカでは体験できない贅沢でもある。そう、この季節が再び到来したのだ。
仰ぎ見る空に、シアトルの初夏を想う。あれから、一年が流れたのだ。アメリカ出張の一環として舞い戻った第二の故郷。東京都心のビル街で展開する目まぐるしい日々の中、ふとした瞬間に脳裏を横切る光景があった。ベインブリッジ島から戻るフェリーのデッキで見つめたダウンタウンの夜景や、週末ごとに家族でピクニックに興じた湖畔の公園。そんな思い出が前ぶれもなく顔を覗かせては、私を切なくさせた。知らず知らずのうちに恋しさを募らせていたのだろう、昨年の初夏に降り立ったシータック空港は、両手を拡げて私を歓迎してくれたようにさえ思えた。その直後、私はスターバックス本社へと向かった。受付で登録を済ませ、面談相手であるコンプライアンス業務担当者・スティーブ(仮名)を待つ間、東京から彼に出した手紙の文面を思い返した。「シアトルのスターバックス。東京のスターバックス。どちらも、同じようなメニュー、同じようなインテリア。見た目は殆ど変わらない。でも一歩踏み込んでみると、あまりにも違いが大きい。これって、日米の文化の違いを反映しているのでしょうか?」見知らぬ日本人から届いた手紙の抽象的な文章に、スティーブは首を傾げただろう。その反面、「面白そうな奴だな」と興味を惹く契機にはなったかもしれない。グローバル・コンプライアンスの仕事に携わっていた私にとり、7年間(後に記録を更新して8年となった)連続で倫理的な世界企業に選出されるという快挙を誇るスターバックスは、一種のお手本でもあった。だが、それ以上に個人的関心も深く、米国出張中にどうしても訪ねたい企業の一社だった。だからこそ、こちらからの唐突ともいえる面談の依頼に快い返事が届いた朝、東京のオフィスの PC の前で、私は小躍りしたものだ。
シアトルへ出張中に訪問したスターバックス本社
面談に応じてくれたスティーブは、実に気さくな紳士だった。カジュアルな服装がいかにもシアトルらしい。クールビズだのスーパークールビズだのスローガンが声高に提唱されつつも、堅苦しいワイシャツに身を包み、通勤電車でぎゅうぎゅう詰めにされ、肩で息をしながら会社へと向かうサラリーマンたち。Japan, Inc. の光景を見慣れた目には、西海岸のリラックスしたスタイル(もっとも、これは服装にはとどまらず、ライフスタイル全般に通じることだが)は新鮮に映った。コンプライアンス関連の話をあれこれと聞いた後、私は肝心の質問をした。日本のスターバックス、アメリカのスターバックス。両社を隔てるものは何なのだろう、と。
それは、こういうことだ。シアトルでスターバックスに入り、モカを注文するとしよう。お馴染みのグリーンのロゴをつけたエプロン姿のバリスタが、耳たぶに光るピアスを揺らせながら、カウンター越しに微笑みかける。「ホワイト・チョコレート・モカ? Good taste! 僕もそれが一番のお気に入りなんだよ。」または、注文とは全く別に、こんなコメントが出ることもある。「そのネックレス、素敵だね」、「最近、天気がいいでしょ。この週末は、何か特別な予定でも入ってる?私は、ボーイフレンドとビーチにでも出かけようと思ってるのよ。」アメリカ人が得意とする small talk である。実際、私の行きつけだったスターバックスでは、店員と客の間で日常的にお喋りに花が咲いていた。「うちの息子、ようやく仕事を見つけてね。やっと、無職の生活にピリオドを打ったんだ。」初老の男性が、キャラメル・マキアートを待つ傍ら、父親として安堵の表情を覗かせれば、湯気の向こうでバリスタが目を細めつつ、快活に言う。「おめでとう!これで、あなたも奥さんも、ひと息つけるって訳ね。」私の場合、生後間もない娘をスリングに入れ連れて行った回数が多いせいか、赤子を中心に会話が展開していった。「あれっ、見るたびに大きくなってるよね」、「プーさんの帽子、似合うじゃない」、「うちの妹も妊娠して、予定日が来年の夏なんだよ。指折り数えて、待ってるんだ。」
むろん、すべてのアメリカ人バリスタがフレンドリーに話しかけてくる訳ではない。機械的な応対に徹する人も、無表情の人も、中にはいる。そもそも、「アメリカ人は皆こうだ」、と十把一絡げにすることにより、移民大国・アメリカを織り成す文化の多彩さから目を逸らすようなものだ。それでも、日本に居を構えた私が海の彼方からアメリカを想う時、こんな記憶が蘇る。ロースクール卒業後、連邦裁判官のもとで働いていた時だ。裁判所のエレベーターの中で、見知らぬおじさんが豪快に笑い出した。「今日はさ、Pay Day Friday! まったく、これが嬉しくて働いてるってもんだよね。」その何年後だろう、近所のスーパーで食料品を買い支払いをしたレジでの会話だ。おそらくは50歳、いや55歳に手が届こうかという店員が呟いた。「今日は夕方にシフトが終わったら、ガールフレンドとデートなんだ。」エプロン姿が不釣合いにも映るフットボールの選手のような大男が、心なしか頬を紅潮させた。その初々しさが微笑ましくもあり、こちらまでニンマリとした。孫がいても不思議ではない年齢の男性が、シフトを終えた途端、そのエプロンを放り投げ、口笛を吹きつつハンドルを握り、恋焦がれる女性のもとへと車を走らせる。給料日のささやかな喜びだろうが、デートを前にときめく恋心だろうが、赤の他人をつかまえて、「いい年」をした大人が自分の中の「茶目っ気」を瞬間的にさらけ出すことができる。Small talk が日常の風景に溶け込むアメリカは、私にとって涼風が吹き抜ける場所でもある。膝小僧に穴の開いたジーンズで芝生にゴロンと横になり、大空を仰ぎ見つつ歌を口ずさむ。それがまるっきり音程の外れた歌なのだが、周囲の人間が嘲笑するでも口を尖らせるでもなく、のほほんと当の本人は歌い続ける。それが私の中にあるアメリカ文化のイメージでもある。
子供たちと私が大好きだった、フェリーから見るシアトル・ウォーターフロント
客を前に、自分の恋愛をネタに喋るような店員は、日本ではお目にかからない。そもそも、small talk 自体が浸透していない社会である。こじんまりとした居酒屋あたりだと、常連客を前に、「お前さん、ちょっと痩せちまったんじゃないかい?失恋でもしたのか?」などとカウンター越しに軽口をたたく店員がいてもおかしくないだろう。だが、スターバックスしかり、ドラッグストアしかり、書店しかり、初対面の客を前にして、「あっ、もうすぐ6時。このシフトを終えたら、私、彼氏と表参道で待ち合わせなんですよう」と顔を赤らめる店員さんなどいない。いたら、さぞ日本も楽しくなるだろうなあ、なんて考えをめぐらせるのは、おそらく私ぐらいのものだろう。(大真面目な話、私が客なら、「それは、ごちそうさま。夜の表参道って、カップルが絵になる場所なのよねえ。羨ましいなあ」といったコメントを返し、会話のキャッチボールを楽しむだろう。)
東京都心のスターバックス
実は small talk どころか、日本の店員の応対は、完全にマニュアル化されている。「お客様、お飲み物は店内でお召し上がりですか? お持ち帰りですか?」「ポイントカードはお持ちですか?」「(ないと答えると)それでは、お作りしますか?」「(「結構です」と答えると)、失礼致しました。」「お飲み物は、あちらのカウンターから、お取りください」、「ありがとうございました。ごゆっくり、どうぞ。」哀しくなる程に、いつもいつも同じパターンが繰り返される。そこに個性をキラリと光らせる隙間は入り込まない。お辞儀の仕方さえもが同じように見え、店員 A さんと店員 B さんを区別するのも難しい。きっちりと線引きをし、その明確な境界からはみ出ることなく、お行儀よく、折り目正しく生きることを期待されるのが日本である。昔も今も、それは変わりない。決まりきったパターンの中で、ほぼ機械的に応対をこなせねばならない店員の方も味気ないのではないか。そんな老婆心が湧き上がる。もっとも、「あら、そんなことないですよ。明文化されたパターンをきっちり守る方が楽だし、効率的じゃないですか」という反論が来るかもしれない。「大体、small talk なんてものが必要なんですか?日本の店員は接客の態度もきっちりとしていて丁寧。お釣りを間違えるようなこともない。日本のカスタマー・サービスは世界一、二の質を誇るといっても過言ではないでしょう?」「別に、店員のデートの話なんて聞いたところで、こっちには何のプラスにもならないし。マニュアル通りであっても、基本をきちんと抑えてくれる方がいいじゃないですか?」確かにそうかもしれない。だが、私は small talk の文化をあくまでも一例として引き出しているに過ぎない。
毎回どの店でも判を押したかのように繰り広げられる接客の手順は、折り目正しく生真面目な日本社会を反映するかのようだ。それは、あまりにも predictable つまり次に何が起こるか極めて予測しやすいだけに、安堵感が生まれやすい。終身雇用崩壊の声が高まる中、定年退職まで気の遠くなるような年月を同じ会社に捧げる企業戦士の生き方を彷彿とさせる。みんなと同じ。昨日と同じ。ワイシャツを着、ブリーフケースを提げ、通勤電車に吸い込まれる。その安定感の中では、冒険心や開拓者精神が育ちにくいのも、また事実だろう。芝生であぐらをかいたり、ゴロンと横になったりで、時には破れたジーンズの穴から膝小僧を覗かせたりしながらも、「これが、自分」と生きていく。それも悪くないよ、と口を尖らせたい衝動にかられるのは、私が若いうちに海外移住を決め込んだ異端児だからだろうか。
ラッシュ時の電車でもみくちゃにされながらも、器用な手つきでスマートフォン、いや「スマホ」を操りゲームに興じる会社員。丹念にブローされた茶髪を艶やかに光らせ、パンプスの踵の音を涼やかに響かせながら表参道や丸の内の舗道を闊歩する女性たち。中学受験の名のもと、参考書でパンパンに膨れ上がったカバンをたすきがけにし、夜のプラットフォームに立つ塾帰りの小さな戦士。説明会や会社訪問に駆けずり回るのだろう、就活報告会も兼ねてか喫茶店に陣取る、ぎこちないスーツ姿の大学生グループ。東京の空の下、この日常の風景を、アメリカ暮らしの長い私は、珍しいものでも眺めるように視界に入れる。同時に、その風景に溶け込めず立ち往生する自分に気づきもする。世界有数のビル街の真ん中で、どうしても、ひとときの「故郷」の温もりを味わいたくて、スターバックスへと足を早める。5分間、いや時にはたった2分間のエメラルド・シティ。ドアを開くと、そこに拡がる小さな空間はシアトルの店で見慣れた色彩に欠けるようで、少し淋しくもなる。それでも掌の中のラテは温かい。
スターバックス本社で出会ったスティーブが言う。「君が日米のスターバックスは違いがあると書いてきたから、当初は店のレイアウトやインテリアでも違うのかなあ、なんて思ったんだけどね。」「アメリカのスターバックスは、small talk を通して、お客さんとの交流を大切にすることを奨励してるけど、日本ではアプローチが異なるみたいだね。」私の説明に耳を傾けていたスティーブは、そんな風に感想をもらした。「確かに、日本では、アメリカのような small talk は根付かないかもしれない。でもね、できることから始めていけば、いいんじゃないかな。たとえば、ダークスーツを着込んだ58歳の重役を前に、いきなりバリスタが、『最近いい天気が続いてるけど、今度の週末は何かプランでもあるの?』なんて聞いたら、どうも不自然だよね。だけど、フリーランスっぽい20代の常連客に聞くのは悪くないだろう? そんなところから少しずつ始めていくと、どこかで変革が起こるかもしれないよ。」スティーブの言葉に、私は頷いた。日本には、日本のやり方がある。そんな解釈がある反面、グローバル社会へと歩を進めるのであれば、それなりの変革が必須だという見方もある。何かを皮切りとして、日本も徐々に変革を遂げていくべきなのかもしれない。梅雨入りで傘が手放せない東京の雨空の下、ラテの温もりを後生大事に包み込みながら、ふっと海の彼方のエメラルド・シティへと想いをめぐらせた。
エバーグリーン・ステートで足を踏み入れた数々のスターバックス。アルカイ・ビーチで、潮風を頬に感じながら、司法試験の問題集をひもといた海沿いの店。シアトル市内から乗ったフェリーで辿り着いたブレマートンの噴水公園で、遊び疲れた子供たちを引き連れ、休憩がてらにひと息ついた店。宿題に読み聞かせと、学習や子育ての場も提供してくれた自宅近くの店。あの匂い、あの空気、あの会話、あのシーン。エスプレッソの香りに包まれて、それぞれの小さな物語が息づいている。そして、それは、私がいつか帰る世界でもある。
掲載:2014年7月
お断り:著者は、一個人として、また弁護士として、プライバシー尊重という理由に基づき、当コラムで扱う人物名や場所名、または設定などにおいて、ある程度の内容変更を余儀なくされる場合があります。御了承ください。