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第54回 アップルが教えてくれたもの

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「皆さん、寝ちゃいそうな内容ですけどね。」以前、私が日本で参加した研修の冒頭では、聴衆を前に司会者がそのような言葉をこともなげに発していた。「寝ても、いびきだけはかかないで下さいよ。」受けを狙ったのだろう。涼しい顔で、司会者が言った。だが、仕事が多忙を極める中、わざわざ時間を作って参加した当方にしてみれば、笑う気にもなれない。それから2時間近くにわたって展開した研修は、確かに無味乾燥としか言いようのないものだった。同じ内容でも、創意工夫でいくらでも「眠くならない」ものにできる筈なのだが、その工夫を凝らそうという気概にさえ欠けるのだろうか。会議にしても、しかり。丹念に作成されたスライドの各ページに所狭しと文字や数字が埋められ、それをただ復唱するに過ぎないような発表を聞かされることがある。「あのう、その資料を印刷したものを戴けますか? 自分で読んだ方が早いですから。」懇切丁寧な「音読」を延々と聞かされる立場としては、つい横槍を入れたくなる。

しかし、この傾向は、ビジネスの場のみならず、学校でもよく見られる。入学式や卒業式といった、子供にとっては生涯一度の晴れ舞台でさえ、校長先生や来賓客は、あらかじめ準備した原稿から顔も上げず棒読みをしたりする。「友達を大切にしましょう。」「勉強にスポーツに全力を尽くし、充実した学校生活を送りましょう。」これでもかとばかりに聞き古したフレーズが繰り返され、何の印象も残さない、そんなスピーチが目立つ。延々と続く単調なトーンに愛想をつかし、あくびを噛み殺すような生徒もいる。たとえ断片的なフレーズでもいい。成長した子供たちが、その晴れのイベントを何年か後に振り返る時、ふっと心に蘇るような言葉を贈ってはくれないものか。そう切に思う。

シリコンバレーへの汽車旅へと発ったサンフランシスコ市内。

シリコンバレーへの汽車旅へと発ったサンフランシスコ市内。

これまで私が日本で聴いてきたスピーチやプレゼンテーションは、概して無味乾燥なものが多かった。むろん、例外はある。だが、それらはあくまでも例外でしかない。文化的背景を考慮すれば、やむを得ないことなのかもしれない。アメリカでは、幼稚園児にして、Show & Tellというパブリックスピーキングの練習の場が与えられる。ぬいぐるみやミニカーなど、お気に入りの一品を手に仲間に紹介するものである。年齢が上がるにつれて、授業でのプレゼンテーションの機会も与えられ、時にはチーム対抗のディベートもする。言葉を使っての自己表現が日本より何倍も重視され、日常的に実践されている。自分の意見を的確に言葉で表現するコミュニケーション能力が、成功する上での要素として重視されるのがアメリカ社会である。それを反映するかのように、キャリアで業績を上げるアメリカ人には、コミュニケーションのスキルに長けた人が圧倒的に多い。

だが、アメリカ人に学ぶところが多いと私が痛感するのは、彼らが発揮する Storytelling の力である。以前のコラムで、日米のスターバックスの比較を通し、アメリカの small talk culture を描写した。その文化の延長線上とも言えるが、アメリカ人は、自らの体験や見聞きした話などを題材として、大なり小なりストーリーをスピーチに織り込み活用することに長けている。アップル社でのミーティング中も、その話が登場した。「ストーリーこそが人の心に語りかけ、人の心に残るんだよ。」面談中、グレンが熱を込めて語った。アメリカ人のスピーチがインパクトを生みやすいのは、必ずしも、ダイナミックな手振り身振りや抑揚のついた話し方、アイコンタクトなど外的な要素に左右されるからではない。彼らは、内容にストーリー性を持たせることにより、ともすれば単調で印象が薄くなりかねない話に息を吹き込み、奥行きを持たせ、聴衆の心に訴えかけようと努める。"Keep looking. Don’t settle." "Stay foolish. Stay hungry." そんな呼びかけが、スタンフォード大学卒業式で多くの人々の心を揺さぶった、元アップル CEO のスティーブ・ジョブズ氏によるスピーチ。それもまた、ジョブズ氏が、挫折や試行錯誤も含め彼自身が歩んだ道を振り返りつつ、若い世代へのメッセージを贈るという、ストーリー性のあるものだった。

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