アップル社訪問時、私自身もひとつのストーリーを面談相手のグレンに披露した。「へえ、さんざん偉そうなことを書いておきながら、その程度の話をストーリーと呼ぶの?あんたの腕も大したことないね。」読者の方からは、そんなお叱りの声が飛ぶかもしれない。それでも、グレンはこのストーリーに真摯に耳を傾け、「いい話だ」と言ってくれた。そして、帰国後、彼からの思いがけないプレゼントが職場に届いた。その小さなストーリーをここで披露させて頂きたい。
「私には、東京で公立中学に通う息子がいます。アメリカで生まれ育った彼は、日本の学校教育に馴染めず、時には級友からガイジンと呼ばれたり、『お前の国は、俺の国に原爆を落としたんだよな』 と言われたりと、いわゆるハーフであるがゆえの苦しい体験もしてきました。『ママ、アメリカに帰りたい。』 何度、私にそう言ったことでしょう。母親として、当然ながら私も心を痛めていました。そんなある日、私が遠地へ出張中、息子から電話がかかってきました。『A 君から、今度の週末、うちに遊びに来いって誘われたんだ。』 私は、仰天しました。A 君とは小学生の頃から仲が険悪で、喧嘩を繰り返していたからです。どう考えても、その A 君が息子を自宅に招待するとは合点がいかず、これは何かの悪戯ではないかと心配をしました。行かせるのはやめようと考えましたが、私は出張中の身、何もできないまま週末が訪れ、息子は A 君宅へ出かけました。そこで、A 君は、息子にこう頼んだそうです。『俺に英語を教えてくれないか。』 そして、A 君は目を輝かせました。『俺の将来の夢は、シリコンバレーへ行って、アップルに就職することなんだ。俺はアップルが好きでたまらない。夢をかなえるためにも、英語を習いたいんだ。』 実際、彼はアップルの製品を愛用し、家族旅行でシリコンバレーへの本社へも出向いた程、アップルを敬愛しているとのことでした。その A 君に息子は英語を教えて帰ってきたそうです。その日をきっかけとして、A 君と息子の間には、小さな友情が芽生えました。12歳の少年が海の彼方から頬を紅潮させ、目をキラキラさせて、『何がなんでも就職する』 とまで言い切る会社。今、この瞬間、世界中でどれだけの少年や少女が、この会社の製品を手にし、「アップルって、かっこいい」「アップル、大好き」と、心の中で憧憬を膨らませていることでしょうか。それが、あなたの会社なんです。『苦手な英語も、アップルのためならマスターしてみせる。』 一人の人間の生き方に影響を及ぼす程のパワーを秘める。それが、あなたの会社です。」
後日、東京のオフィスへと舞い戻った私に、シリコンバレーから郵便物が届いた。「息子さんと A 君に」と贈られたのは、お馴染みのりんごのロゴが付いた色違いのTシャツ2枚。早速、二人に着せ、皇居のお壕を背景に写真を撮影した。息子の肩に手を廻す A 君。笑いながら V サインを掲げる息子。その写真を見ると、カリフォルニアでの出会いが蘇る。人の心に染み入り、人の行動にさえも影響を及ぼすようなストーリーを紡ぎ、分かち合えるようになりたい。よき語り部となるべく、一瞬一瞬を懸命に、そして丁寧に生きたい。心にノートを携えて、その時々の想いを記しておきたい。道端の紫陽花が色濃く彩りを添える東京の街で、心の中を吹き抜けるシリコンバレーの風に、想いを馳せる。その瞬間、後生大事に握り締めたアイフォンのりんごのロゴが、掌の中から微笑みかけてきたような気がした。
掲載:2015年7月
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