
「BCA 土曜学校」は4月に新学期が始まったばかりで、新鮮な空気に包まれています。教員として、また放課後のアートクラスの担当として子どもたちと接してきた中で、色と文化について気が付いたことを少し綴ってみたいと思います。
子どもたちが使う色から、改めて地域、文化の違いを強く感じさせられます。一人一人が持っている色に対するセンスやイメージは、生まれつきのものもありますが、育つ土地によっても大きく変わることは周知のことです。虹の色も土地や国によって少しずつ違うように、色塗りをする時に選ぶ色も土地、文化によって様々に変化します。現在アメリカに住み、土曜学校で日本の文化に触れ、日本語を学ぶ中で、無意識のうちに日本とアメリカの二つまたはそれ以上の文化を背景とした色感を身につけているように感じられます。

色に対するイメージの違いが生じることの一つは、実際に目にしているものからの違いです。日本でリスを描くとたいてい日本リスの茶色に塗りますが、北米のこの地では庭を駆けているリスの色、グレーに塗ります。これは住んでいる地域によるシンプルな色の違いです。かぼちゃにしても、日本ではほぼ緑に塗り、オレンジ色はハロウィンの時にしか出てきませんが、こちらではオレンジを中心として何種類か色や模様などが違うかぼちゃが紙の上に出現します。そして、日本の文化に触れている子は、アニメやイラストからの影響で、気分によって日本的な色を選んだり、時にはミックスしたりしています。子どもたちはこのような地域による違いを認識し、面白がり、他の地域・多文化への興味を持つ大きなきっかけとなっています。

色のセンスの違いは、言語と文化の関係からも見られます。日本の伝統色は456色あるそうですが、古い書物の中での色の表現は「黒・赤・青・白」の4色を主に使われていたそうです。そのため緑色の新鮮な野菜も「青々とした野菜」と表現したり、信号を「赤、青、黄色」と言ったりします。目には緑色に見えている物も「青」で表現していた名残で今もそのように言いますが、この日本独特の緑色の言い方は、土曜学校で学んでいる子どもたちが耳で触れる色の文化の違いでしょう。芝生を描いている子に「青々とした芝生だね」と評しても「緑でしょう?」という子が一人もいないのは、日本式の表現に慣れているからだと思います。手には緑のクレヨンを持っていても、言語的に「青々とした」というイメージを持ちながら描いているということになります。

また、色に対する印象の違いは、日ごろ触れている感覚的なものからです。赤鬼を描いていた子が赤いクレヨンで塗った後に、白のクレヨンを重ねてピンクにしました。理由を問うと、「鬼が怒っているから」という答えでした。日本では怒ると顔が紅潮するイメージを持つ人が多いと思いますが、アメリカで育っているその子にとっては怒ると顔はピンクになるイメージだったようです。怒っている風の日本の赤鬼から、アメリカの怒ったピンク鬼に変身して、その子にとっては十分怖い鬼に仕上がったようでした。感覚的な色の印象は、住んでいる場所の文化的なものから身についてくることが多いように感じます。
このように、子どもたちは、色に関してだけでもいつも日本とアメリカや他の文化の間を軽やかに行ったり来たりして楽しんでいます。土曜学校に通うことで日本を身近に感じ、自然と日本の文化が身につき、その結果、彼らの中で日本と他多文化を融合させオリジナルの文化を作り上げています。
色の文化だけでなく、食文化、または着るものの文化など、それぞれの興味によってその融合の仕方は多様化していくでしょう。グローバル化という言葉はもうすでに陳腐なものとなりかけてはいますが、土曜学校に通う子どもたちを見ていると、文化の境界を越えていく無限の可能性を感じさせられます。 いろいろな学校活動や体験を活かし、一人一人が将来素晴らしい国際人として、それぞれどんな色の花を咲かせてくれるのか楽しみです。
執筆:長友裕子(ながとも・ひろこ)
土曜学校教員・グラフィックデザイナーとして勤務。土曜学校でのアートクラスも担当。プライベートではイラストレーター・アーティストとしての活動を続けている。『My Dad’s Hat (おとうさんのぼうし)』(2021年出版)、『The Flower Buds (つぼみ)』(2022年出版)のイラストを手掛けた。アートを通しての障がいのある方々・高齢の方々のサポートも続けている。シアトル在住。