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「明確なビジョンを持って、覚悟して夢を追いかける」 ファッション・ブロガー AikA さん

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ファッション・ブロガー AikAさん

「英語を使って、アメリカで仕事をしたい」 留学した頃の漠然とした想い

生まれ育ったのが米軍基地のそばだったこと、小学校の頃の親友の一人がアメリカ人だったこともあり、アメリカ文化の影響を受けて育ちました。カリフォルニア州でのホームステイでは日本に帰りたくなくなり、いよいよアメリカに行きたいという気持ちが強くなりました。でも、長女としてしっかりしないといけないというプレッシャーなどで自分のやりたいことができず、ぐれてしまったんですね。

最初にファッションに興味を持ったのは、同級生によるいじめからの逃避でした。ファッション雑誌を見ながら古着などで工夫してコーディネートするうち、自分の体型で気に入らないところをファッションでカバーできることに気づいたのです。私は身長が154センチしかなく、ファッションモデルになるには現実は厳しいと思い、将来はファッション関係の仕事ができたらと思うようになりました。

そして駒澤短期大学の英文科(当時)に入り、ようやく英語を勉強できると思ったら、まったく英語を使わない環境で、卒業に成績は関係ありませんでした。1年が終わるとすぐに就職活動をし、デザイナーズマンションやアパレル関係の会社から内定を2ついただきましたが、それが本当にやりたいことなのかと母に言われた時、「これではいけない」と思ったのです。

そこで、「英語を使って、アメリカでファッション関係の仕事をしたい」と、なんとか英語を勉強しなおし、ベルビュー・カレッジに留学。当時、シアトルのファッション・シーンは全然だめでしたが(笑)、私は朝からファッションもメイクもちゃんとして登校しました。”I love your outfit” とか “Your hair is awesome” とか知らない人から言われることにカルチャーショックを受けましたが、認められ、受け入れられた気持ちになり、もっとファッションが好きになりました。そして、勉強もがんばって大学が選ぶ成績優秀者のリスト(Dean’s List)に載り、「アメリカで、英語を使って、ファッション関係の仕事をする」という夢がはっきりしたのです。

独自のファッションを展開するブログで新たな展開へ

でも、卒業後に就職がすんなり決まらず、ようやく就労ビザのスポンサーシップもしてくれるというアパレル関係のスタートアップに入社できたと思ったら、事前に言われていたことと違うことがいろいろあり、就労ビザのスポンサーシップも嘘だったことがわかりました。信じていただけにご飯も喉を通らないほどショックで、数日間何も口にできなかったこと今でもはっきりと覚えています。親にも言えず、移民法弁護士に相談し、スポンサーを見つけるためにも、「アメリカで、英語を使って、ファッション関係の仕事をするという自分の夢をあきらめない」と決心しました。

その第一歩が、2011年に軽い気持ちで始めた日記のようなブログをファッション・ブログにしてしまうこと。いろいろなコーデの写真を次々に公開し続けるうち、LookBook などでフィーチャーされるようになりました。そこで、「3年以内に雑誌などでフィーチャーされ、3つの大手ブランドとコラボすることを目標に、苦しくてもあきらめず、本当に真剣にやってみよう」と、27歳だった2013年に、現在のブログ 『Aika’s Love♡ Closet』 を公開したのです。

アメリカで抜きん出るには、ユニークであること

マリークレール米国版2016年12月号に登場

すると、New York Times の Street Style でフィーチャーされたりするようになり、ユニクロや Free People など幅広い大手のブランドとのコラボの仕事やローカルの The Seattle Times425 Magazine でのフィーチャーにもつながりました。さらに、昨年、マリークレール米国版12月号でフィーチャーされたこと(写真上)がターニングポイントとなって、スワロフスキーと商品マーケティングの仕事をすることができました。就労ビザのスポンサーも見つかって申請し、今年4月にはベルビュー・スクエアにあるケンドラ・スコットともサマー・コレクションを紹介する Meet & Greet のイベントを実現しました(写真下)。

ケンドラスコットとのイベントにて

私の海外ブロガーとしてのモットーのひとつは、”Stay Fashionable, Stay Unique”。日本人がアメリカでブロガーとして抜きん出るには、ユニークであることが必要です。モデルのイメージが決まっている日本で私がモデルになるのは無理ですが、アメリカだったら一人の個人として受け入れてもらえます。なので、背が低くても、足が短くても、顔が大きくても気にしない。ヒールをはけば背が低いことのコンプレックスがなくなります。スタイリング次第で自分の気になる部分もカバーできます。

以前の私は自分のことが嫌いでした。着飾っても、中身は空っぽ。だから周りの人に八つ当たりしていたんだと今ならわかります。でも、大変な状況に自分で対応しなくてはならなかったことが自分を成長させてくれたと思うようになりました。自分が変わることで、まわりも変わる。勇気を出して自分の殻を破らないと、人生は良くならないんですね。

明確なビジョンを持って、覚悟して夢を追いかける

4年目にして、だんだんと知名度があがり、ファンベースも広がってきて、出先で声をかけられることも増えてきました。その瞬間が涙が出るほどうれしくて。「あー、諦めずに今までやってきてよかった」と感じ、がんばってきたことが報われた気持ちがします。

27歳で始めて、今31歳。日本では年齢で躊躇することが多いですが、アメリカでは私ぐらいの年齢の人が仕事をやめて自分の夢のため、また学校に行き直すことが普通ですし、ネガティブな感情なしで夢を追いかけられます。でも、「アメリカにいたいから」というただ漠然とした気持ちでやっていたら、今の自分はなかったはず。「アメリカで、英語を使って、ファッション関係の仕事をする」という明確なビジョンと「アメリカで有名トップブロガーになる」という覚悟があったからこそ、今の自分があるのだと思います。

ファッションブロガー仲間たちと

「こうしたい」「ああしたい」「ああなりたい」とみんな言いますが、怠け心や恐れがあって、行動に移せない人がいると思います。私だってブログが成功するかどうかわかりませんでしたし、最初は親からの反対もあり、すごく怖かった。でも、やってみないとわからない。怖かったら、怖くてもいいから、自分だけでも自分を信じてあげること。自分を信じることは、苦しい時に乗り越えられる原動力になります。自分に嘘をついて生きるより、失敗しても自分の道を行ったほうがいい。一生懸命やっても失敗したら、一つのいい経験だと思って次をがんばること。そうすれば意味のない失敗はなくなります。失敗かどうかは、3~5年もすればわかります。今20歳だったら、3~5年たってもまだ23~25歳。全然遅くありません。

私には、これからまだ先がたくさんあります。それをどう生きるか。自分の人生が楽しいかと聞かれれば、私は「今はまだ大変だけど、楽しい」と心から笑って言えます。悩んだら誰かに相談すればいいですし、ひとりぼっちだと思わない。夢を追うには困難はつきもので、簡単だからやるのではなく、難しいからこそやるんですよね。苦しい時に乗り越えられなければ道はひらけない。そして、困難の中にこそ希望の光、明日への光は必ずあります。苦しい時にがんばるからこそ道が拓けるわけで、大きな夢を見ることと、それに向かって走り続ける情熱が、努力を支えてくれるのだと思っています。

ファッション・ブロガー
AikA さん 略歴
神奈川県生まれ。2008年に留学のためシアトルへ。2011年に卒業。27歳でブログ「AikA’s Love♡ Closet」を本格的にスタートし、独自のファッションを発信し始める。2016年末に雑誌 『Marie Claire』に取り上げられたことがターニングポイントとなって、スワロフスキーやケンドラ・スコットなど大手メーカーとのコラボを実現している。
【公式サイト】 www.aikaslovecloset.com
インスタグラム @aikaslovecloset | ツイッター @AikasLoveCloset

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