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「衣食住で最も大切なのは "食"」 滝克典さん オーガニック農場 Mair Farm – Taki 経営

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もくじ

農業を一生の仕事に 〜 日本からニューギニア、そしてアメリカへ

日本で大学の農学部水産学科を卒業後、滋賀県の県立水産試験場に技師として就職しました。しかし、地方公務員の仕事に嫌気が差し、当時はまだ交際中だった妻の故郷である沖縄の半官半民で運営されていた養護施設で保父・指導員として13年にわたり働きました。その後、日本人キリスト教会からニューギニア島に派遣され、妻と3人の子供と一緒に移り、1年2ヶ月にわたり農業を教えました。ニューギニア島の西側(旧イリアンジャヤ州、現パプア州)は当時、そして今もインドネシアに併合されていますが、私の友人だった独立派の指導者が逮捕されたのが原因で、私も国外退去となってしまいました。

数ヶ月に渡り沖縄に滞在した後、独立派が多数移住していたパプアニューギニア独立国(ニューギニア島東側)にある難民キャンプで農業を教えたくてビザを申請。そのビザを待つ間、アメリカのコネチカット州にある海外聖職者向けの Overseas Ministries Study Center から奨学金を得て、7ヶ月にわたりキリスト教に関する勉強をしました。しかし、パプアニューギニアに渡るビザが下りないようなので、長老派教会(Presbyterian Church)が所有するワシントン州のキャンベル・ファームという農場で2年ほどボランティアで野菜作りをし、1996年にヤキマ郡ワパト市にある今の農場を購入。総面積は35.6エーカーあり、周囲には何もないので、オーガニックをするにはちょうどいい農場だと考えたのです。

オーガニック農法とコンベンショナル農法:農産物の栄養価の違い

ニューギニア時代からオーガニックのみで農業をやってきましたが、ビジネスとして始めたのはワシントン州が初めて。大学の最初の2年間で農学の基礎を学びましたが、当時はすでに第2次世界大戦を機に発明された化学肥料の使用が広まっていましたので、オーガニックについて大学で学んだことはありません。

化学肥料(コンベンショナル農法)を使えば低価格、かつ少ない労力で生産することができますが、オーガニックで作った野菜や果物の栄養価は、化学肥料を使って作られたものの4~6倍。栄養価で考えると、例えば、オーガニックで作られた1束のほうれん草の栄養価は、化学肥料で作られたほうれん草の栄養価の4~6倍に等しいわけです。土地面積で考えると、化学肥料を使ってオーガニックと同じ栄養価を得るには4~6倍の面積が必要です。そんな無駄なことはできません。

オーガニック農業に対する信頼

最近ではオーガニックが増えていますが、私に言わせると、オーガニックの農家にも4種類あると思います。1つ目は自分とみんなの健康を考え、経済的なことは度外視してオーガニック農業に従事する人、2つ目は自分とみんなの健康を考え、ビジネスとしてもきちんと運営する人、3つ目は単に儲かると考えてオーガニックに切り替えた人、4つ目はオーガニックと称した偽の農家です。

オーガニック農家全体の信用に関わるため、4つ目に関してはあまり言いたくありませんが、いくつかそういうところがあるのは事実です。以前、そういった農家で働いたことがある人が話してくれたのですが、オーガニックでないものを買ってきてオーガニックのものと混ぜて販売したりすることがあったそうです。

きちんとやっている私からすれば、州の調査員がファーマーズ・マーケットで購入した商品を検査したり、農家に突然現れて検査を行ったりすることは大歓迎です。しかし、そういった検査をすべての商品に対して行うのは困難ですし、オーガニックなのかそうでないのかは消費者には見分けがつきません。もちろん、そのような不正が見つかれば、オーガニック農場に与えられるライセンスは剥奪され、二度とそのライセンスを取得することができないばかりか、オーガニックでないものを他人に食べさせたことで刑事犯罪となり、懲役刑を科されるようになっています。ですから私は、これからは信頼できるファミリー・ドクターを持つように、信頼できるファミリー・ファーマーのような、「ここの野菜なら安心だ」と言える農場をみんなが見つけられるようになればと思っています。

ファーマーズ・マーケットなどで販売

販売はユニバーシティ・ディストリクト、地元のヤキマ郡のファーマーズ・マーケットのみです。私の農場のあるヤキマ郡はコンベンショナルなものが安いですから、地元の人はオーガニックに対する興味が薄い。興味があるのはシアトル市やオレゴン州ポートランド市、カリフォルニア州などの大きな町から引っ越してきたオーガニックについて知識のある人たちぐらいです。でも、これからオーガニックに関する教育が浸透するにつれて、その状況も変わっていくでしょうね。

ファーマーズ・マーケットへの出店は基本的に通年。半年間にわたり毎週出店するため、野菜と果物を混ぜて収穫できるようにし、さらに、例えばピーチはピーチでも1種類につき5~6本植えて、収穫が2週間ずつずれるようにしています。

私が扱っている野菜は、他の農家が扱っているレタスやほうれん草などに加え、かぼちゃ、ごぼう、きゅうり、ナス、小松菜、水菜、春菊、三つ葉、トマトなど日本のもの。そして果物は収穫の順番で行くとチェリー、アプリコット、プラム、ピーチ、ネクタリン、ベリー、二十世紀なし、洋ナシ、りんご、丹波栗、ウォールナッツ、グレープ、りんごです。すべてオーガニックです。また、オーガニックの飼料で育てた鶏の卵も販売しています。最後に収穫するのはりんごとかぼちゃ。りんごはとても難しいんですよ。

販売には工夫が必要

みんながやっていないものを作りたいと思って始めましたが、最初は日本の野菜に関しては日本人以外の関心はそれほど高くなかったものの、きんぴらごぼうや蒸しかぼちゃのサンプルを配ることで、日本人以外の人も日本の野菜を購入するようになってきました。

キュウリと言っても、日本のキュウリとこちらのキュウリが違うとわかってもらうには、やはり試食してもらう以外にありません。ただ、「いらっしゃい」だけではだめですね。今では「珍しいもの」を求めて、いろいろなお客さんが来てくださいます。

気候の変化が農業に及ぼす影響

最近の大きな気候の変化は、やはり水です。ワシントン州東部では山の雪解け水がヤキマ・リバーに流れ、その伏流水で作物を育てていますから、山に雪がないとやっていけません。今年は例年より雪が多いので良いですが、最近は3年に1度ぐらい干ばつが起きます。この辺りの人たちに聞いてみると、昔は干ばつは10年に1度ぐらいだったそうなんです。私の農場の水利権(water right)は “junior surface water” であるため、干ばつになると地上にまく水が最初に遮断されます。そうなると井戸の所有者のところからパイプをつないで水を確保しなくてはなりませんが、このパイプは何百フィートにもなり、多額のお金がかかります。

今年の大問題は、例年より気温が低いこと。果樹園の温度を上げるため、底力のある大企業はプロパンガスやウィンド・マシンなどを使うわけですが、今年はすでに何百万ドルを暖房に投資していると聞きます。かつて使っていたディーゼルは煙が出るため使用されなくなっていますが、ディーゼルの価格も高いですね。最近はプロパンも高くなり、1ガロンあたり3ドル近くなっています。そのようなわけで、財力のないところはすでに50%から90%の木が被害を受け、今年の栽培を取りやめたところもあります。私の農場では華氏38度に下がるとスプリンクラーをスタートするよう設定し、水温で果樹園の温度をあげるようにしていますが、明け方に気温がぐっと下がるのに注意するため、眠れない状態です。

衣食住で最も大切なのは「食」

しかし、農家は儲からない。食べることは衣食住の中でも最も大事なことで、人間は食べないとやっていけないはずなのに、それを担当する人たちが報われない状況です。有機栽培でない農家の中には、大会社に収穫した果物を持っていっても、選別や包装にかかる費用が果物の価格を上回り、倒産するところがたくさん出てきています。ですから今やっていけるのは、ものすごく大きい会社か、私のようにものすごく小さな農家のみでしょう。そして、農園で9/11後から人手が足りない状態で、さらに収穫に対して出荷の費用が高くなるため、チェリーやりんごが木になったまま放置されている状態です。食べ物という一番大事な物を作っている農家が浮かばれない、そんな状況なのです。

人間は食べなければ生きていけません。「オーガニックは高い」と言いますが、栄養価で考えれば高くない。コンベンショナルであれば、オーガニックと同じ量の栄養価を得るために4~6倍の数を買わなくてはならないわけですから。栄養価の高い食材を食べて元気に暮らすのと、安いからといって体に良くないものを食べて病院に行くことにお金をかけるのと、どちらがいいでしょう。これからそういったことを啓蒙していければと考えています。今後は日本などからオーガニック農業について学びたいという人を研修生として受け入れるといったことをやってみたいですね。そして、こちらのファーマーズ・マーケットというシステムを日本でも広げてもらいたい。農家にとっては、仲介者が存在せず、お客さんと直接話すことのできるこのファーマーズ・マーケットというシステムはとてもいいと思うんです。

滝 克典(たき・かつみ)略歴
滋賀県生まれ。大学卒業後に水産試験場で技師として働いた後、ニューギニアで農業を教える。1989年にコネチカット州へ。Overseas Ministries Study Center で勉強し、ワシントン州に引越して野菜作りのボランティアをする。1996年に現在の農場を購入し、オーガニック農業を行っている。

取材・文:オオノタクミ

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