11月19日に、今年で5回目となるシアトル日系人会主催のチャリティ・コンサート 『ミュージカル・ブリッジ・コンサート』 が開催される。スペシャルゲストとして登場する大江千里さんは、長年にわたり日本のポップス界で活躍したのち、2008年、ジャズピアニストを目指して47歳でニューヨークの音楽大学へ留学。そんな大江さんに、ジャズの魅力やアメリカでの活動、イベントの見どころについて伺った。
– ニューヨークの音楽大学、The New School for Jazz and Contemporary Music にジャズ留学をされたのは、47歳のときでした。渡米を決意したきっかけは何だったのでしょうか。
ポップスの世界で活動しながらも、ずっとジャズを学んでみたい気持ちはあったんです。40代に入ってから、母を亡くし、飼っていた2匹の犬を亡くし、音楽仲間や親友を亡くしました。命は限りあるものなんだということを目の当たりにして、自分を振り返ったときに、「やり残しがないように、そろそろ人生をレイアウトしなくちゃ」と思った。僕は90年代に4年ほどニューヨークに住んでいた時期があったのですが、ふと、家の近所にジャズの大学があったことを思い出しました。ネットで調べたら、海外からでも受験できることがわかって、すぐに応募の準備に入ったというわけです。
– ジャズとの出会いについて教えてください。
15、16歳のころ、大阪の中古レコード店でジャズのレコードを買って聴いてみたのが最初の出会いです。クリス・コナーという白人のジャズシンガーで、くぐもったようなハスキーな歌声に魅了されました。そこから一気にのめりこんで、ウィントン・ケリー、トニー・ベネット、ビル・エヴァンス、セロニアス・モンクといったアーティストのアルバムを聴きあさりましたね。ジャズの持つ不思議な世界観と、それまで聴いたこともなかったような音にすごく魅かれたんです。ジャズの教則本を買って勉強しようとしましたが、僕にとってはすべてが未知の世界で、難しかった。そのうち、ポップスの方でシンガーソングライターとしてデビューすることになり、そのまま突っ走っていった感じです。
– ニューヨークでの大学生活はいかがでしたか。
当然のことながら、クラスメートは20歳前後の若い子たちで、しかも幼いころからジャズに親しんできた精鋭ばかり。僕みたいに、「ポップスの世界で活動しながらジャズにあこがれてました」なんていう人はいませんでした(笑)。しかも、ちょうど入学したころに老眼が始まったんです。ホワイトボードの文字が見えないので、教室の前の方に行って携帯で写真を撮り、家に帰ってからそれをPDF化してノート代わりにしていました。
それから、通っていたジムで腕を痛めてしまったこともありました。クラスメートがどんどん先へ進んでいく中で、僕だけが数か月間、ピアノを弾けなかったんです。あの時期はしんどかったですね。でも、僕が教わっていたプライベート・ティーチャーが「勝負は他人とではなく、自分自身とするもの。千里は素晴らしいものを持っているから、焦らないで」と言ってくれました。先生の助言もあって、その時期は人の演奏する音をじっくりと聞いて、耳から学ぶ時間にしました。結局、卒業には通常より長い4年半かかりましたが、ジャズの基礎をみっちりと学ぶことができました。
クラスメートは世界各国から集まってきていたので、今ではその大半が国に帰っています。だから、ヨーロッパ、南米、アジアと、あちこちに仲間がいるんですよ。これは、僕にとって大きな財産です。どこかの国でライブをすることになったら、その国にいる友人がよさそうなライブハウスを調べておいてくれたり、演奏を聴きにきてくれたりするんですよ。
– ニューヨークでは、PND Records & Music Publishing というレーベルも設立されましたね。
現代はリスナーの嗜好がいろいろな枝葉に分かれていて、もうメジャーだけの時代ではないと思っています。僕のレーベルは、例えるなら小さなおそば屋さん。一日に30食しか出せなくても、30人が心の底から満足して、リピートしてくれたらとてもうれしい。そういうお店なら、自分一人でも店主としてハンドリングできるのではないかと思って、レーベルを立ち上げました。ちなみに、PND は Peace Never Die の略です。僕が飼っている犬の名前が Peace というんですが、彼女が永遠に生きていてくれたらいいなという願いを込めて(笑)。
– 音楽活動やマネジメント業務でお忙しいと思いますが、ニューヨークではどんなふうに日々を過ごしているのでしょうか。
月に1度、Tomi Jazz というライブハウスで演奏しています。ほかにも、ニューヨーク市内のライブハウスのほか、アメリカ国内外のさまざまなイベントに出演させてもらっています。レーベルの仕事としては、ライブハウスのブッキングや交渉ごと、注文されたCDの発送まで、全部自分でやっていますね。あまりスケジュールを詰めすぎるとパンクしてしまうので、そこは気をつけています。ちゃんと体のメンテナンスをして、ジャズの練習をする時間も確保したい。学校を卒業した後は、自分で学んでいかないと成長が止まってしまいます。だから、今は大学で学んだことの応用編のような形で、自分でカリキュラムを作って勉強を続けています。
ジャズって、白いキャンバスに好きな絵の具でガーッと描くような自由さがあるけど、背景にはすごく細かい、目に見えない規則みたいなものが存在するんです。その基本を守った上で、それをあえてぶち壊すのがライブの醍醐味。基本の練習を怠ると、途端に薄っぺらい音楽になってしまうんですね。
– 仕事をする上で、アメリカならではの苦労はありますか?
ニューヨークにはいろいろな国籍の人が住んでいるけど、それぞれの国のコミュニティで固まってしまいがちなところがあります。そういう中で、いかに多くのリスナーに音楽を届けるかということには試行錯誤しています。今、アメリカにはもうCD文化がないでしょう。どんなメディアツールを使えば広がっていくか、アイデア次第という感じがしますね。
– 7月にリリースされた最新作 『answer july』 は、自身初となるジャズボーカルアルバムです。このアルバムに込めた思いを聞かせてください。
ニューヨークの音大に願書を送ったとき、こんなことを書きました。「もし僕を入学させてくれたら、しっかりジャズを学んで、名だたるジャズシンガーの方々に曲を提供して、ビルボードチャートのベスト10入りを果たしてみせます」と。今思うと恥ずかしいんですが、とにかく、もともとジャズシンガーに曲を提供するのが夢だったんです。今回のアルバムは、ニューヨークのアーティストたちと共演し、制作に3年以上をかけてようやく完成した自信作です。
– 11月19日には、シアトルで『ミュージカル・ブリッジ・コンサート』に出演されます。意気込みや、見どころについて聞かせてください。
シアトルに行くのは、今回がまったくの初めてなんです。これまでに僕が出会ったシアトル出身の友人たちは、みな口をそろえて「シアトルはすごくいいところだから、千里もきっと住みたくなるよ」と言っていました。どんなところなのか、とても楽しみです。
最近、日本の童謡や唱歌を自分流のジャズにアレンジして、ピアノ一本で弾き語りをしたりしているんです。シアトルに長く住んでいる日系人の方も多いと聞いているので、そういう方々に聞いていただけたら「懐かしい」と思ってもらえるんじゃないでしょうか。それから、有名なアニメの曲をアレンジしたものは、小さなお子さんやアメリカの方にも楽しんでいただけると思います。年齢や国籍にかかわらず、みんなが一体となって楽しめるライブにしたいですね。
– 今、ご自分の夢のどのあたりにいますか?
人間って強欲で、夢が一つかなうと、また夢が先に進んでしまう。だから、自分の夢がどこにあるのか、その頂上は僕にも見えません。今は、レーベルの仕事を今よりもう一歩上の段階に進めたいと思っています。音楽をもっともっと世の中に広げるお手伝いがしたい。音楽が大好きな連中がこのレーベルに集まって膨らんでいく、そういう輪の中心にいられたらいいなと思います。僕自身も、ニューヨークに来てから周りの人にたくさん助けられてきたので。
– シアトルには、留学や仕事でがんばっている人もたくさんいます。そうした方々にメッセージをお願いします。
夢のイメージをクリアに持つことで、そこから逆算して、一日一日をがんばれると思います。夢に向かって足を踏み出していること自体が、すでに夢の一部。アメリカって、一生懸命に努力していると、ある日突然、光が照らしてくれるような瞬間があるんですよね。シアトルとは離れた場所に住んでいるけど、アメリカで夢に向かって奮闘しているという点では僕も同じです。体を大事にしながら(笑)、お互いにがんばっていきましょう!
おおえ・せんり/1960年生まれ。ニューヨーク在住のジャズピアニスト、作詞・作曲家、アレンジャー。1983年にポップスのシンガーソングライターとして日本デビュー。2007年までに45枚のシングルと18枚のオリジナルアルバムを発表したほか、テレビ番組のMCやラジオのパーソナリティー、俳優、執筆活動なども行った。2008年、ジャズピアニストを目指し47歳でニューヨークへ。The New School for Jazz and Contemporary Music でジャズピアノを専攻し、2012年に卒業。自身の音楽レーベル PND Records & Music Publishing を設立、現在はニューヨークを中心に活動している。2016年7月、ジャズピアニストとして4枚目となるアルバム 『answer july』 をリリース。
取材・文:いしもと あやこ 写真提供:大江千里さん