医師になろうと思ったきっかけ
サラリーマンだった父を見ていて、大きな組織の一員は組織に守られている反面、自由がきかず、さまざまな会社で通用する特別な知識や技術がなければ転職やキャリアアップするのは難しいと思いました。そこで、どこに行っても、やめても、それなりの技術があり自由がきく、自分で自分の納得のいく職を探したいと思うようになり、医師を目指すことにしたのです。
とはいえ、幼いころから医師になろうと思っていたわけではありません。日本で生まれ、父の仕事で7歳から10歳までプエルトリコ、10歳から高校卒業までニュージャージー州に住んでいましたが、「大学は日本で行くんだから、日本語がおろそかにならないように」と両親に言われていました。そのため、日本語通信教育と土曜日の日本語補習校、日本語の本の読書で日本語も勉強し、まわりの日本人が勉強熱心だったことの影響で、塾にも通い、春期講習、夏期講習、そういうものにもすべて出ていました。
そして、1991年にイラク戦争が始まり、高校10年生だった時にサウジアラビアに待機中の米軍兵士に授業の一環で手紙を書いたところ、19歳の兵士から返事が来たのです。僕は励ましのメッセージを書いたつもりでしたが、カリフォルニア州出身の彼は「勉強などいろいろがんばってくれ」と逆に僕を励ましてくれました。いつどうなるかわからないような状況にある、自分と3歳しか変わらない人がこれだけ立派なのだから、自分もいずれは人のためになるような仕事をしたいと、その時に強く思いました。そういった仕事には警察官なり消防士なりいろいろありますが、その時自分が得意だったのは理系の勉強だったので、医師になると人のために何かできると考えたのです。また、よくスポーツでケガをし、医師に治療してもらうことがあったことも影響したと思います。
感染症専門医は、原因となる微生物の発見と治療が仕事
感染症専門医の仕事は、どの微生物がその感染症を引き起こしているかを知り、治療方法を決め、治療を施すことです。昨年はエボラ、今年はジカ熱と、新たな感染症が次々出てきますから、常に新しいチャレンジがあります。もう一つの分野は渡航医学(travel medicine)です。渡航する前にワクチンについてカウンセリングを行うため、常に最新情報を入手し、最適なワクチンを提供しているかを監督する必要があります。
「医師になるにはいろいろな経験が大事」
医師になるかどうかに限らず、幼いころからいろいろな経験をすることが大事だと思います。臨床をしたいのであれば、世の中にはいろいろな人がいますので、広い視野を持てるようにしたいですね。それには、医学や理系のことだけでなく、いろいろな幅広い知識を身につけていくのがいいと思います。私の場合、日本に帰ったときに日本のことをもっと勉強すればよかったと思うこともあります。そして、家族を大切にすること。病気になった時など、患者に頼れる人がいるかどうかで、治療中も治療後も患者さんの状態が全然違ってきます。
「やりがいを感じるのは、患者が回復するとき」
やはり患者さんの病状が良くなってくれると、やりがいを感じます。日本では検体を見る仕事をしていましたが、やはり臨床の方が好きです。感染症の場合、どこで感染したかを探らなくてはならないので、どこで育って、どういうところに住んでいて、どういうペットを飼っていて、どういう仕事をしていて、と、いろいろなことを聞かなくてはなりません。他の科ではそこまで踏み入って聞かないというところまで聞きますので、患者さんの全体像をつかみやすく、そういう意味でもとても興味深いです。
米国北西部を代表する病院の一つ、バージニア・メイソン・メディカルセンター
バージニア・メイソンは、1920年に創立された非営利の病院。当時はベッド数80台・医師6人で始まったが、現在はベッド数336台・医師460人以上を抱える、米国北西部を代表する病院の一つに成長しています。
バージニア・メイソンでは Toyota Production System を取り入れ、Virginia Mason Production System(VMPS)という改善プロモーション・オフィスがあり、常に改善に取り組んでいます。私がかつて勤務していた福岡の飯塚病院から、どのような改善が行われているか病院関係者が学びに来ます。ここでは科と科の垣根がなく、医師のコミュニケーションがとりやすく、協力し合うチーム・メディシン(team medicine)が実現されています。今の医学は進歩が早く、一人ですべて把握するのは無理。医師それぞれ得意分野があり、その他の分野では自分よりわかっている人がいる。そのように専門家が協力しあえるのは、やはり前述のVMPSの結果と言えます。
今後の目標・課題は「微生物検査室と臨床の連携強化」
もう少し微生物検査室と臨床の連携に携わりたいですね。現状では、臨床が患者を診て検査し、微生物検査室が検体の検査をして生えてきたものを報告し、双方の情報を把握して実際に治療するかしないか・適切な治療は何かを決めていくのですが、必要な情報にしぼり、情報が重複しないようにし、情報の共有方法も改善できればと思っています。
シアトルは「暮らしやすい街」
アメリカの高校を卒業後、山梨医科大学に入学し、日本とアメリカでトレーニングを終えました。その後、シカゴの周りで就職先を探しましたが、家族が住みやすいところを考えた時、北西部がいいのではないかということになり、以前に聞いたことのあったバージニア・メイソンに就職して引っ越してきました。シアトルはとてもいいところですね。人種構成が多様でアジア人が多いですし、日本の食べ物もあれば、日本の店もある。都市部では雪は降らないけれど、近くでスキーには行ける。いろいろな面で物価は高いですが、とても暮らしやすいところだと思います。
千原晋吾さん(ちはら・しんご)
バージニア・メイソン・メディカル・センター 感染症科指導医
日本、プエルトリコ、ニュージャージー州で幼少時代を過ごし、山梨医科大学に入学。卒業後、横須賀海軍病院インターン、飯塚病院初期研修、コネチカット大学プライマリ・ケア内科プログラムのレジデント及びチーフ・レジデント、ラッシュ大学・John H Stroger Jr Hospital of Cook County 感染症科フェロー、ユタ大学臨床微生物学フェロー、獨協医科大学感染制御・臨床検査医学教室講師。2011年に再々渡米し、南イリノイ大学感染症科講師を務めた後、2014年3月よりバージニア・メイソン・メディカル・センター 感染症科指導医。