何度落ちても、コンペに応募し続けた
高校に入ってからもバンド活動を続け、自作のオリジナルソングをライブハウスで演奏するようになった。バンドは卒業と共に解散したが、菅野さんは東京音楽大学に進学し、より具体的に「キャリアとしての音楽」を模索するようになっていった。
大学時代には、女性ボーカルとユニットを組んで、頻繁にライブ活動を行いました。その一方で、アーティストの楽曲やドラマ音楽などのコンペやオーディションにも、片っ端から応募しました。それこそ、数え切れないくらいです。まったく採用されずに落ち続けましたが、音楽の道をあきらめようと思ったことはありません。子どもの頃からずっと、音楽を仕事にしようと思っていましたから。
ただ、ドラマ音楽のオーディションに落ち続けた時期は、さすがにしんどかったですね。いつも、最後の2-3人くらいまでには残るんです。それで、最終選考で落とされる。せっかく勝ち上がっても、次のオーディションではまたゼロからのスタートです。どれだけ多くのライバルと競い合っているのかもわからないし、すでにプロで活躍している人だって応募しているかもしれない。そう考えると、ドラマの仕事を獲得するということが、果てしなく遠い道のりに感じました。
ある朝、目が覚めて、実際に目の前に壁が見えたことがあります。分厚くて白い壁が、どこまで続いているかわからないほど高く、目の前に立ちはだかっていた。その頃は、音楽をやめる気はなかったけれど、「一生、うだつが上がらない作曲家のまま終わるのかな」という恐怖を感じることはありましたね。それでも、やることはただ一つ、次のオーディションに自分の曲を出すだけです。出さなければ、可能性は絶対に「ゼロ」なんですから。
どの作品がヒットするかは「神のみぞ知る」
大学卒業後も、オーディションやコンペに応募し続けた。そして2004年、ドラマ 『ラストクリスマス』 でついに劇伴デビューを飾る。これを機にドラマや映画の仕事が次々と舞い込むようになり、現在は、年間300曲以上を手がける「超売れっ子」となった。多忙な毎日を送るが、自分から仕事を「選ぶ」ことはあまりないという。
こちらが「選ぶ」というより、「選んでいただいている」という感覚です。もちろん、作曲家としてヒット作を手がけたいという思いはあります。ただ、作品がヒットするかどうかを事前に予測するのは、ほとんど不可能。作品の内容にかかわらず、自分がいい音楽を作って、何とかその作品を盛り上げたいと思います。
作品の良し悪しで音楽のクオリティーが左右されることはないし、左右されるべきではないと思っています。最低限、自分が求められているクオリティーのものは出さないといけない。それよりもいい仕事をすれば、より満足していただけて、次の仕事にもつながるでしょう。
意外な作品が当たったり、完成した映像を見るとびっくりするほど面白かったりすることも、よくあるんですよ。エンタメ業界は、ある意味ギャンブル。どの作品が当たるかは、神のみぞ知る世界です。5作を手がけて1作ヒットするなら、50作を手がければ、10作ヒットすることになる。人々の記憶に残るのは「ヒットした作品」だけです。たとえ残りの40作が当たらなくても、ヒットした10作の方が印象に残って、「あの作曲家はヒットメーカーだ」という評価につながります。作曲家としては、とにかくたくさん仕事をする中で、自分のスキルを高めていくことが大事だと考えています。