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「いつか第九を超える名曲を」 作曲家・菅野祐悟さん

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小学1年生で初めての作曲

2014年、NHK大河ドラマ 『軍師官兵衛』 の音楽を手がけた作曲家・菅野祐悟さん。テレビドラマ、映画、アニメと幅広いジャンルで人気作品の音楽を作り続けており、今や、日本で菅野さんの音楽を耳にしたことのない人はいないかもしれない。子どもの頃から抱いていた「音楽を仕事にしたい」という夢が、作曲家への道筋を切り開いた。

4歳で習い始めたクラシックギター当時はピアノよりギターの方が好きだった

両親が音楽好きで、僕も4歳のときからピアノとクラシックギターを習い始めました。小学校1年生の時、「両方を続けるのは大変だから、どちらか好きな方を選んでいいよ」と言われて選んだのがピアノです。本当はギターの方が好きだったんですが、子供心に「自分にとって大変な方を選べば、親が褒めてくれるんじゃないか」と思ったんです。作曲家になる上ではピアノが弾ける方が有利なので、結果的には良かったですね。

初めて作曲したのも、小学1年生の時でした。通っていた音楽教室の発表会では、クラシックの曲のほかに、自作のオリジナル曲を演奏することになっていたんです。当時から、クラシックピアノを譜面どおりに弾くのがあまり好きではなくて、自分で作曲する方が楽しいなと感じていました。

中学校の吹奏楽部ではドラムシンバルティンパニ木琴マリンバなど打楽器全般を担当

中学校では、クラシックピアノを続けながら、友人たちとバンド活動も始めました。当時、人気のあった TM ネットワークのコピーバンドです。X JAPAN にも影響を受けましたね。普通、バンドで一番目立つのはボーカルなのに、X JAPAN では YOSHIKI さんがすごく激しくドラムをたたいていて、その姿が一番目立っていた。かっこいいな、自分もドラムをたたけるようになりたいなと思って、学校の吹奏楽部に入部しました。吹奏楽部には、ドラムセットがあったんですよ。そこでドラムの練習をして、時々バンドメンバーと一緒に近所の公民館を借りては、ライブを開いていました。

中学時代には、忘れられない映画との出会いもありました。ジュゼッペ・トルナトーレ監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』です。映画の内容もさることながら、音楽がまた素晴らしい。それまで聞いていたTMネットワークでも X JAPAN でもない、ビートルズでもストーンズでもない、かといってクラシックでもジャズでもない、この美しい音楽はいったい何だろうと思いました。「こんな美しい音楽を作ってご飯を食べていける道があるんだ」と気付いたのも、この時ですね。それから、テレビを見ていても、自然とBGMを意識するようになりました。

何度落ちても、コンペに応募し続けた

高校に入ってからもバンド活動を続け、自作のオリジナルソングをライブハウスで演奏するようになった。バンドは卒業と共に解散したが、菅野さんは東京音楽大学に進学し、より具体的に「キャリアとしての音楽」を模索するようになっていった。

大学時代には、女性ボーカルとユニットを組んで、頻繁にライブ活動を行いました。その一方で、アーティストの楽曲やドラマ音楽などのコンペやオーディションにも、片っ端から応募しました。それこそ、数え切れないくらいです。まったく採用されずに落ち続けましたが、音楽の道をあきらめようと思ったことはありません。子どもの頃からずっと、音楽を仕事にしようと思っていましたから。

ただ、ドラマ音楽のオーディションに落ち続けた時期は、さすがにしんどかったですね。いつも、最後の2-3人くらいまでには残るんです。それで、最終選考で落とされる。せっかく勝ち上がっても、次のオーディションではまたゼロからのスタートです。どれだけ多くのライバルと競い合っているのかもわからないし、すでにプロで活躍している人だって応募しているかもしれない。そう考えると、ドラマの仕事を獲得するということが、果てしなく遠い道のりに感じました。

ある朝、目が覚めて、実際に目の前に壁が見えたことがあります。分厚くて白い壁が、どこまで続いているかわからないほど高く、目の前に立ちはだかっていた。その頃は、音楽をやめる気はなかったけれど、「一生、うだつが上がらない作曲家のまま終わるのかな」という恐怖を感じることはありましたね。それでも、やることはただ一つ、次のオーディションに自分の曲を出すだけです。出さなければ、可能性は絶対に「ゼロ」なんですから。

どの作品がヒットするかは「神のみぞ知る」

大学卒業後も、オーディションやコンペに応募し続けた。そして2004年、ドラマ 『ラストクリスマス』 でついに劇伴デビューを飾る。これを機にドラマや映画の仕事が次々と舞い込むようになり、現在は、年間300曲以上を手がける「超売れっ子」となった。多忙な毎日を送るが、自分から仕事を「選ぶ」ことはあまりないという。

こちらが「選ぶ」というより、「選んでいただいている」という感覚です。もちろん、作曲家としてヒット作を手がけたいという思いはあります。ただ、作品がヒットするかどうかを事前に予測するのは、ほとんど不可能。作品の内容にかかわらず、自分がいい音楽を作って、何とかその作品を盛り上げたいと思います。

作品の良し悪しで音楽のクオリティーが左右されることはないし、左右されるべきではないと思っています。最低限、自分が求められているクオリティーのものは出さないといけない。それよりもいい仕事をすれば、より満足していただけて、次の仕事にもつながるでしょう。

意外な作品が当たったり、完成した映像を見るとびっくりするほど面白かったりすることも、よくあるんですよ。エンタメ業界は、ある意味ギャンブル。どの作品が当たるかは、神のみぞ知る世界です。5作を手がけて1作ヒットするなら、50作を手がければ、10作ヒットすることになる。人々の記憶に残るのは「ヒットした作品」だけです。たとえ残りの40作が当たらなくても、ヒットした10作の方が印象に残って、「あの作曲家はヒットメーカーだ」という評価につながります。作曲家としては、とにかくたくさん仕事をする中で、自分のスキルを高めていくことが大事だと考えています。

『昼顔』 『軍師官兵衛』 の音楽に込めた想い

軽妙な恋愛ドラマに、重厚な歴史物、近未来SFアニメーション。菅野さんの手がける作品のジャンルは、実に多岐に渡る。

曲自体は、ピアノの前に座れば、何かしらできるものなんです。ただ、自分の中で進むべきゴールが見えていないうちに、やみくもにピアノに触ることはしません。例えば、テレビドラマなら、放映時間帯やキャスト、視聴者層といった基本的な条件がありますよね。そのほかに、「王道の演出で高視聴率を狙いにいく」のか、「抑えた演出で新しい層を取り込もうとする」のかというような、作品の目指す方向性もあります。ピアノに触る前に、考えるべきことが山ほどあるわけです。

2014年には、『昼顔』 というドラマの音楽を手がけました。上戸彩さんと斎藤工さん演じる男女が、互いに既婚者でありながらひかれ合う、いわゆる「不倫物」です。ただし、昼ドラではなく夜の時間帯のドラマですから、ドロドロの不倫劇ではなく、ある程度のおしゃれさが求められます。禁断の恋という、ものすごく高い壁をぶち破って恋愛関係に進んでしまう2人は、いわば、感情が暴走している状態。そこで、音楽でも「抑えきれない欲望が暴走する感じ」を表現したいと思いました。そうした要素をすべて考慮した上で作り上げたのが、メインテーマである 『Never Again』 という曲です。

一方、『昼顔』とは対照的な作品が、同じ年に手がけたNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』だ。

まず、舞台は戦国時代であり、時代劇です。長年続いてきた「大河ドラマ」というブランドがあり、その音楽にも様式美がある。ただし、様式美は時代と共に少しずつ変化するものでもありますから、僕としては、2014年を象徴するような新しい大河を見せたいという気持ちもありました。そして、昔から大河を見ているおじいちゃん、おばあちゃんたちの期待を裏切らないようにしたい一方で、若い世代の心にもスッと入るような音楽にしたいと考えました。

主役である官兵衛は、人は殺さずに生かし、戦わずして頭脳で勝つというタイプの戦略家です。また、部下を大切にし、生涯、一人の妻だけを愛し続けました。そうした愛情深い面を表現したい一方で、戦国時代の激しさや、逃れられない辛い運命も表現したかったのです。官兵衛の目玉となるオープニングテーマは、こうしたすべての想いを詰め込んで生まれました。作品全体では、7-8か月をかけて、130曲を書きました。大河ドラマは、大げさに言えば、後世に語り継がれる作品であり、自分の評価を決める作品でもあります。曲作りを進める中で、「本当にこれでいいのか」と自問自答する場面は何度もありましたね。

自分の曲で世界を感動させたい

2014年2月東京渋谷の Bunkamura オーチャードホールで開かれた<br>バレンタインコンサートの様子

2013年には、コンサートの視察を兼ねて、初めてシアトルを訪れた。そのきっかけを作ったのが、バイオベンチャー企業アキュセラ社の会長兼 CEO である窪田良さん。まったく異なる世界で活躍する2人は、共通の知人を通じて数年前に知り合い、すぐに意気投合したという。

窪田さんは薬の開発、僕は作曲とジャンルは異なりますが、世界中の人を感動させたい、世界に影響を与えたいという想いは同じです。周囲から「おかしい」「無理だよ」と思われているようなことも、「もしかしたら可能性があるかもしれない」と信じて、本気でチャレンジしている。そうした部分に、お互い感じるものがあるように思います。窪田さんが日本に一時帰国する際には、よく2人で飲みに行きます。とは言え、あまり熱い話をすることはなく、他愛もないボーイズトークに花を咲かせているのですが(笑)。

ダウンタウンシアトルにあるピアノ店での一幕シアトル滞在中にどうしてもピアノが弾きたくなって連れていってもらいました

2013年、窪田さんにシアトルにお招きいただいて、「Celebrate ASIA」のコンサートを見に行きました。その時に辻井伸行さんが演奏されていたピアノが本当に素晴らしくて、観客の方々も皆、スタンディング・オベーションをしていたんです。僕はその時、「アメリカ人を熱狂させるアジア人」を初めて目の当たりにした気がしました。僕自身、海外へのコンプレックスを持っていたのだと思います。でも、辻井さんの演奏を聴いて、「僕も自分の曲でアメリカの人たちを感動の渦に巻き込みたい」という気持ちがわき起こりました。

今回、「Celebrate ASIA」のために書いたのが 『Revive – 琴と尺八と管弦楽のための協奏曲』 です。琴や尺八を使った曲と聞くと、『さくらさくら』 や 『春の海』 のような定番曲を思い浮かべる方が多いかもしれませんが、それらとはまったく異なる仕上がりになっていると思います。琴や尺八の持つ「音」は強烈で、その音色を聞いただけで日本らしいイメージが自然と浮かびます。ですから、僕の方では、あえて「日本らしい曲」にしようとはしませんでした。例えば、第3楽章は、若者がクラブで聞くような音楽をオーケストラで演奏しているような雰囲気もあります。きっと、新鮮な感じを受けられるのではないかと思います。ぜひ、会場に足を運んで、実際に聞いてみてください。

2014年のバレンタインコンサートでは軍師官兵衛 のメインテーマをはじめ<br>探偵ガリレオ ホタルノヒカリ PHYCHO PASS など<br>菅野さんが手がけた人気曲が多数披露された

日本の劇伴音楽界で、さらなる活躍が期待される菅野さん。今後は日本にとどまらず、「世界に飛び出していきたい」という野望も抱いている。

日本のアニメは、海外でとても人気がありますよね。僕はアニメ作品の音楽を手がけることも多いので、アニメを通じて、世界中の人に自分の音楽を聞いてもらえるようになることを期待しています。それから、いつか海外の映画音楽も手がけてみたいですね。

生涯をかけて実現したい目標は、ベートーベンの 『第九』 を超える作品を作ること。どんなジャンルでも、古いものは新しいものに取って代わられるのが宿命ですが、第九は時代を超えて、国を超えて、今なお世界中の人々に愛され続けています。そんな曲を書き上げることが、僕の究極的な夢なんです。

東日本大震災後は、継続的な支援活動も行っている。被災地でミニコンサートを開いたり、複数の作曲家が共同して復興支援のためのアルバムを作り、CD やコンサートの売り上げを寄付したりした。2月26日(木)には、シアトルの東にあるレドモンド市で行われるチャリティ・イベント「Tohoku Revive」でも、菅野さん自らピアノ演奏を披露する予定だ。

シアトルのお気に入りスポット

趣味で絵も描く菅野さん。2013年のシアトル滞在時には、毎日のように美術館やギャラリーを巡ったそうだ。「シアトルは街全体がアートにあふれていて、あちこちで絵やオブジェを目にしたのが印象的でした。僕自身、アートが大好きなので、滞在を心から満喫しました」

シアトル美術館左やタコマ美術館右をはじめ数多くのギャラリーを巡った

取材・文・一部写真:いしもと あやこ

かんの・ゆうご/1977年生まれ。東京音楽大学作曲科卒業。音楽好きの両親の元、4歳でピアノとクラシックギターを始める。大学在学中よりアーティストへの楽曲提供を行い、2004年、フジテレビ系月9ドラマ 『ラストクリスマス』 でドラマ劇伴デビュー。以降、『ガリレオ』 『ホタルノヒカリ』 『SP』 『ガンダム G のレコンギスタ』 など、数多くの人気ドラマや映画、アニメの音楽を手がける。2014年には NHK 大河ドラマ 『軍師官兵衛』 の音楽を担当。また、シアトルでアジア音楽を楽しむ恒例のコンサート 「Celebrate Asia」(2015年3月1日開催) のために 『Revive – 琴と尺八と管弦楽のための協奏曲』 を作曲した。現在、年間300曲以上の楽曲を作曲するかたわら、オーケストラを率いたコンサート活動も精力的に行う。
【公式サイト】 菅野祐悟の公式ホームページ

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