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「私のアートが誰かの助けになれば」アーティスト 三木優子さん(Honeyberry Studios)

三木優子さん

シアトル近郊での2週間のホームステイがきっかけで留学

幼いころから絵を描くのは好きで、中学生ぐらいまでは「将来は漫画家に」など想像していましたが、その後は他のことで忙しくなり、アートについて忘れていました。留学のきっかけは、地元の姫路市で通っていた高校がシアトルのそばにあるヴァション・アイランド高校と姉妹校で、2週間のホームステイを体験したこと。とても楽しく、英語でもっとコミュニケーションがとれるようになりたいと両親に相談したところ、「早いほうがいい」と、高校を卒業してすぐに留学することになりました。

近所に住んでいた方の息子さんがシアトルにいらっしゃったこともあり、シアトルでホストファミリーを見つけてくださるなど大変お世話になって、無事、コミュニティ・カレッジに留学。当時はやりたいことがはっきりしておらず、卒業したら日本に帰国しようと思っていましたが、やっぱりもっと何かをやりたくなって、ワシントン大学に編入しました。当初希望していたコミュニケーション学部には入れなかったので、当時は女性学(Women’s Studies)と呼ばれていた学部へ。今はGender Studies と呼ばれている分野ですが、女性に関わるさまざまな社会問題などを取り上げて学ぶことに夢中になりました。

女性のDV被害者支援団体で誰かを直接助ける仕事へ

卒業後、シアトルでドメスティック・バイオレンスの被害を受けた女性を支える非営利団体に就職しました。OPT で1年だけ働いて日本に帰国しようと考えていたのですが、そこで就労ビザもスポンサーしてくれることになったので働き続け、そのまま永住権もスポンサーしていただいて。とてもラッキーでした。

ドメスティック・バイオレンスのクライシスラインを担当したり、当事者の方のカウンセリング、人事など、誰かを直接助けるという、やりがいのあるさまざまな仕事をし、本当にたくさんのことを学んだと思います。

そうこうするうち、ふと趣味を持とうと思い、鉤針編みを始めて手袋などを編んだところ、周囲から好評だったんですね。友達のすすめで、時間ができた時に作れたら Etsy で販売するという趣味となりましたが、自分が作ったものをダイレクトに喜んでもらえることが本当にうれしかったです。そんな時、勤務先で何かの拍子に描いた絵が受けて、どんどん描いていたら、次第に友人の結婚式の招待状なども仕事として頼まれるようになりました。

自分と自分の選択を認めることになった大きな転機

そうしたことがどんどん重なり、最初はあくまでの趣味の延長と捉えていたアートに対する興味、そしてクリエイティブなことをしたいという気持ちが強くなってきて、仕事がつらくなってきました。そこで、ベルビュー・カレッジでデザインの基礎を学ぶ資格取得コースを受講したのですが、私の作品は「デザイン」とはちょっと違っていたんです。他の人の作品はもっと「デザイン」という感じで、「私はちょっと違うんじゃないか?」と。でも、最終日のポートフォリオの発表会で「あなたはデザインじゃなくて、イラストが好きなんじゃない?それならイラストをやりなさい」と先生に言われたんですね。「これがいい」「これでいい」「楽しいことをやっていいんだ」と、自分と自分の選択を認められて、自分も認めて、次に進もうという、大きな転機になりました。

そして、勤務先には「イラストをやりたいから」と説明して、勤務時間を週30時間に減らしてもらい、準備を始めました。こういうフレキシブルなところ、これまでの人生とはまったく違う選択をすることが受け入れられるところが、アメリカの良さですよね。

そんな時、10年にわたりいろいろなことを一緒に乗り越えてきた同僚が、かつて学んでいた陶芸をビジネスにするために仕事を辞めることに。彼女の決断を聞いて、「私もがんばろう」と思ったのですが、彼女が本当に職場からいなくなってしまうと、自分が想像していたよりもショックが大きく、自分の中でのバランスが崩れてしまいました。でも、逆にそれが「本当に自分もやりたいことをやろう」と決断するきっかけとなったのです。幼いころから自分の気持ちや考えと向き合って、自分と対話しながらいろいろと深く考える性格なので、考えた結果、「私も今、アーティストとして起業しなかったら、一生後悔する」という結論にたどりつきました。

自分らしい働き方を

夫婦で家計を細かいところまで見直し、私がフルタイムの仕事をやめても生活が成り立つことがわかったので、2000年の半ばから2015年まで約14年間務めた職場を去りました。夫が「やってみるべき」と言ってくれたのも、本当にラッキーでした。でも、辞めるのは怖かったですよ。いくら生活が成り立つことが確認できたとは言っても、「決められた給料もない。福利厚生もない。本当にやっていけるの?」って思いますよね。でも、もし失敗してもそんな大変なことにはならないだろうと思ってましたし、「今やらないと後悔する」という思いのほうが強かった。

ワークショップにて

独立してすぐにしたことは、友人のスタジオに一人で二晩泊まり込んで、いろいろと考えて、計画を立てたこと。でも、それから早く軌道に乗せたくて朝から晩まで働いていたら、3ヶ月目に燃え尽きてしまいました。起業でも何でもそうですが、始めてみないとわからないことって、いろいろありますね。そこでまたいろいろ考えて、7週間ごとに1週間休むことにしたんです。「始めたばかりなのに、そんなの贅沢」と思われるかもしれませんが、その方が自分の効率も仕事の質も上がりますし、特にトラブルにもなりません。1週間の休みの間は趣味に集中して、そしてまた仕事に集中します。

「最初はえり好みせず、なんでもやること」というアドバイスも受けましたが、それでは自分が辛いし、本当にいい仕事を続けていくことはできません。なので、起業のアドバイスのひとつは、「NOという勇気を持つ」ということ。また、収入源を確保しておくことですね。フルタイム並みの収入をサイドビジネスで得られるようになるまで、本業を続ける。そうしないと、お金のために仕事に妥協するようになってしまいます。また、「アーティストって、いつも絵を描いてて、きれいなものを見て、楽しそう」とよく言われるのですが、イラストを描いている時間は20%で、80%は事務とマーケティングです。マーケティングの例で言うと、日本のサクラのペンを使ったイラストを365日、毎日描いてアップし、サクラから依頼を受け、チュートリアルをすることにつながりました。常に作品を発表し続けていますが、商品を売ることにつなげないといけないので、絵を描くのが好きというだけでは成り立ちません。ビジネスが好きであることが前提になりますね。

そして、直感を信じること。ビジネスはそれぞれ違いますし、自分にとって大事なこと、自分が信じることをやる。迷ったら、「Yes」と言った時に自分がどう感じるか、「No」と言った時に自分がどう感じるか想像してみる。そして、自分の気持ちがぴったり来る方を選ぶようにしています。最後に、計画は大事ですが、100%完璧な計画はありえないので、考えすぎない。とことんやって失敗しても修正して、次へ進む。自信はそういう経験を繰り返すことでこそついてくる。そんなふうに、起業してから試行錯誤で失敗を繰り返して経験を積んで、過去2年間で5年分成長したと思います(笑)。

今はいろいろなイラストを描いて商品を制作し、オンラインで販売したり、あちこちのショーに出店したりしています。参加するショーもいろいろ考えて選んでいますが、シアトル・センターのUrban Craft Uprisingに今年初めて参加します。マグナソン・パークのRenegade Craft Fair、フィニーのPhinney Winter Fair も好きですね。作品を作るクラスも開催して、公式サイトでスケジュールを紹介しています。作品についていろいろなコメントをいただきますが、一番嬉しいのは、「このイラストに癒される」と言ってもらえた時。私のアートが誰かの助けになればと思っています。

アーティスト
三木優子さん 略歴
兵庫県姫路市出身。高校時代にシアトル近郊で2週間のホームステイを経験したことをきっかけに、高校卒業後、シアトルのコミュニティカレッジに留学。準学士号を取得後、ワシントン大学に編入して女性学を学び、ドメスティック・バイオレンス被害者を支える非営利団体に就職。14年にわたり勤務した後、アーティストとして独立し、オリジナルのイラストでさまざまな商品の制作販売、アートの技術を教えるワークショップ、チュートリアルビデオの制作などを行っている。

【公式サイト】 honeyberrystudios.com

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