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「”Music is for everyone.” 自分がやるべきこと、自分しかできないことをやっていく」 指揮者・原田慶太楼さん(はらだ・けいたろう)

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「”Music is for everyone.” 自分がやるべきこと、自分しかできないことをやっていく」 指揮者・原田慶太楼さん(はらだ・けいたろう)
©Shin Yamagishi

3月18日に開催されるアジア音楽のイベント『Celebrate Asia』で、シアトル・シンフォニーと初共演する指揮者の原田慶太楼さん。東京で生まれ育ち、インターナショナル・スクールに通い、サックス奏者になることを夢に渡ったアメリカで指揮者の道へ。現在はジョージア州サヴァンナと東京を拠点に世界で活躍する日本生まれ育ちの指揮者に、生い立ち、パンデミックの影響、新たに始めた YouTube チャンネル、アメリカでアジア人として活躍することなどについて聞きました。

– シアトルやシアトル・シンフォニーについて、どのような印象をお持ちですか。

実はシアトルには何回も来ています。シアトルに友達がいた頃は、日本に帰国する前や後にシアトルでわざわざ一泊して、コンサートに行ったり観光したりしました。

シアトル・シンフォニーは前から振ってみたいと思っていました。前音楽監督のリュドヴィク・モルローとは、彼がボストン交響楽団のアシスタント指揮者だった10何年前(※2004-2007年)からすごく仲が良くて。世界で活躍するような指揮者になる場合、ボストン交響楽団のタングルウッド音楽祭に行くか、アスペン音楽祭に行くかに分かれるのですが、僕も彼もタングルウッド音楽祭に行き、小澤征爾フェロー賞を受賞しているのです。僕が以前にいたシンシナティ交響楽団にも彼がゲスト指揮者として来てくれたりしたので、シアトル・シンフォニーの話もよく聞いていましたし、リュドヴィクのさらに前の音楽監督のジェラルド・シュワルツの時の録音や、リュドヴィクのフランスのレパートリー録音も、すごくステキなので手元に持っています。

– 今回のシアトル・シンフォニーとの初共演はどのようにして決まったのですか。また、日本人の作曲家の作品が4曲のうち3曲を占めている今回のプログラムはどのようにして実現したのでしょうか。

シアトル・シンフォニーから「毎年アジア音楽を紹介するコンサートを開催しているので、客演指揮者で来てもらえないか」と声をかけていただいて決まりました。昨年の2月に発表された時点で決まっていたプログラムはインドのシタールが中心の大きな編成曲だったのですが、このパンデミックでステージを密にするわけにはいかなくなり、昨年の秋には僕とチェロのソリストだけを残し、プログラムの編成を全部変えてほしいと依頼されました。

ステージでは30人ぐらいまで大丈夫とのことだったので、以前から僕のために作曲すると言ってくれていた作曲家の千住明さんに、「シアトルが世界初演をやってくれるチャンスがある」と連絡して作曲していただいた作品と、吉松隆さん、藤倉大さんの作品も含めて、新しいプログラムを完成しました。一曲だけチャイコフスキーの作品が含まれているのですが、編成が小さい曲ですし、演奏するソリストはアジア系のズラトミール・ファンさんに決まっているので、これだけは残しておくことになりました。

©Claudia Hershner

– 原田さんは、シアトル・シンフォニーでのデビューがどういうふうになれば「成功」と考えますか。

日本人の作曲家3人の作品を、世界中から見られる配信コンサートで紹介できるということは、僕にとってとても大事なプロジェクトです。日本生まれの日本人で、日本人の作曲家をよくわかっていて、アメリカに広めることができる、それが本当にできるのは今は僕しかいないと思っていますので、やる意味があるし、やる価値があると考えました。また、日本企業がたくさんあり、日本人コミュニティもあるシアトルでやることにも意味があると思います。日本人の指揮者である僕が、日本人の作曲家3人を選んで、世界的に有名なシアトル・シンフォニーとどのように日本人の作曲家のサウンドを創りあげるのかが聴きどころ。楽しんでいただきたいですね。

2021年の世界のオーケストラの環境を見ていくと、日本人の作曲家の作品の演奏回数は少ないです。世界のいろいろな人たちと話をして、「日本の作曲家は誰を知ってる?」と聞くと、まず名前が挙がるのが坂本龍一さん。そして次が『ジブリ』(久石譲)。そして武満徹(たけみつ・とおる)さん。それ以外の日本人の作曲家はあまり知られていません。

武満徹さんが本当にいろいろな意味で世界的に有名になったのは、小澤征爾さんが世界のどこででも武満徹さんの作品を積極的に演奏したことがきっかけでした。でも今は、せっかく日本に才能のある作曲家がいて、いい作品があるにも関わらず、日本でしか演奏されていないどころか、日本でも演奏される回数が少ない。指揮者がやるべきことをあまりやっていない。僕は、それは間違っていると思うのです。

今、この世界で活躍する日本人の指揮者はとても少ないので、日本でもアメリカでも活動しているのが僕だけとなると、世界の音楽の歴史とオーケストラ界のために、やはり僕が日本人のすばらしい作品をもっと広めていくしかないと思いました。

– 原田さんは、新しいことにもどんどん挑戦していますね。パンデミックになってからは YouTube のチャンネル『MUSIC TODAY』を始められて、世界の指揮者たちや演奏家たちとのカジュアルな会話を公開されています。おかげで音楽家や音楽がとても身近に感じられるようになりました。

身近に感じてもらうのが目的なので、身近に感じていただいたというのは、それを果たせているわけですね!

パンデミックが始まって、全世界の音楽活動がストップして、僕もラインアップされていたほとんどのコンサートがなくなりました。僕にとってコンサートはライフスパンであり、収入でもあるわけですが、それがなくなった時、「僕にないってことは、お客さんにも生の音楽がないわけだよね」と考えて、何かしなきゃなと。妻にはよく「あなたはオフにしてリラックスするのは無理よね」と言われます(笑)。

そうしていろいろ考えているうちに、今まではお客さんと指揮者や演奏家の間にはすごく壁があったよな、と。指揮者も演奏家も遠い人というイメージがあって、ちょっとミステリアスな感じでしたよね。そもそも接点がないですし、プライベートの話をすることもなく、自分の家のリビングルームを公開する機会も場もありませんでした。

そこで僕はこういう性格の、こういう人間なので、「よし、誰もやっていない!やろう!」と思ったんですね(笑)。そして、音楽家で仲がいい人たちに、「こんなことやるんだけど、乗ってくれない?」と聞いて、やり始めたら100回もやってしまった。

僕が年配で硬い人間だったら、相手も硬くなってしまうのではと思いますが、僕はこういう人間で、家にいますし、配信の時は見えない下半身はパジャマだったりしますからね(笑)。そういうふうにオープンにして、僕とゲストの会話をたまたま何百人かが見ているだけという雰囲気作りをしています。

– 原田さんは自分がやるべきことは何か、できることは何かと、常に考えて行動されているような印象を受けます。

僕は自分のことを「絶対にチャンスを逃さない」という意味での opportunist だと思っています。まわりがやっているから自分もやって安心するというのが大嫌いで、まだやってないものを見つけて追求しますね。「それでだめだったら、他のことをやればいいじゃないか」という性格なのです。失敗があるからこそ成功があるわけで、失敗しなくては成功とわかりません。

日本で「出る杭は打たれる」と言いますが、僕は日本で最近よく「杭が出すぎてて全然打てない」と言われます(笑)。それだけ日本の音楽界でも誰も考えられないような、恐れていることをいろいろなところでチャレンジしています。礼儀正しさとか、先輩後輩とか、相手を尊敬するのは全然悪くありませんし、良いことだと思っています。でも、僕らがやっているのは音楽です。リハーサルで、舞台で、オーケストラが偉い人たちの集まりだからと指揮者がペコペコしていたら、何も進まないのです。

来月から東京交響楽団の正指揮者にもなるわけですが、日本に対して僕がオファーできるものはなんだろうと考えました。そして、今まで創りあげてきたキャリアと経験、海外で得たものをもっと日本に紹介していくことに意味があり、日本にオファーできるものをたくさん持っているからこそ、僕がやることに意味がある。本当に楽しみです。

人生でもプロジェクトでも、成功している間はいいですが、いずれどこかで失敗は必ずあります。壁にぶち当たったら、そこでくよくよして落ち込むより、終わったことだから次のことをやればいい。

この間も NHK で僕のドキュメンタリーが放送されましたが、その時に話したのは、音楽のキャリアでも、その他のキャリアでも、人生でも、リジェクション・レター(rejection letter:不採用通知)は来るということ。でも、僕は「24時間だけくよくよしていいよ」という自分のルールを持っています。24時間だけ、「なんでこの仕事を取れなかったんだろう」「誰がその仕事を取ったんだろう」と、くよくよしていい。そして、24時間が過ぎたらもうそのレターを破って暖炉で燃やして、すっきりする。過去は変えられませんし、自分はベストを尽くしたわけだし、しょうがない。でも、24時間と言ってますが、くよくよするのは15分ぐらいで飽きちゃいますね(笑)。

©Shin Yamagishi

– 17歳でアメリカに単身渡られて、指揮者という狭き門に挑戦して今のポジションを得られたわけですが、どのような子供時代だったのでしょう。今につながる影響には、どんなことがありますか。

東京生まれで東京育ちですが、インターナショナル・スクールのコミュニティで育ちました。そのおかげで僕は、幼い時から英語だけでなく、いろいろな言語に触れることができたのですが、今になってみれば、それが良かったと思っています。指揮者という職業では、フランスではフランス語で、イタリアではイタリア語で、ドイツではドイツ語でリハーサルをするので、やっぱり幼い時に少しでも舌がまわるように育つと、語学は後から楽になりますね。ボキャブラリを頭に入れてセンテンスのストラクチャだけ学べばいいだけですから。

そして、17歳の時に「ブロードウェイでサックスを吹く」ということを目標に、アメリカに来ました。ピットで演奏するミュージシャンになって、いろいろなミュージカルの演奏をして、世界を回る人間になりたくて、日本にいてもそれは絶対にできないことはわかっていたので。でも、インターロッケン芸術高校音楽科の吹奏楽でフレデリック・フェネル先生の指揮でサックスを吹いているうち、「指揮者はこういうことができるんだ」「自分もこの世界に行きたいな」と。そこからですね。

そもそも僕は音楽の環境で育っていませんし、同年代や指揮者の知り合いと比べたら、遅いスタートです。音楽においては、僕を子どもの頃から知っている人たちは「え、何、慶太楼、指揮してんの?」と言うぐらいですよ。「『ウエスト・サイド・ストーリー』でサックスを吹きに、アメリカに行ったんだよね」で終わっているわけです。なので、日本の数々のオーケストラで指揮して、テレビにも出て、アメリカでもヨーロッパでも指揮する人になるなんて、誰一人として想像していませんでした。そもそも僕自身も想像していませんでしたね(笑)。

でも、「指揮者の世界に行きたい」と思った当時の僕は、指揮者のキャリアや、指揮者がどういう人なのか、指揮者の存在とか大切さとかを、1%もわかっていませんでした。どれだけ難しいかを一切知らなかったのです。でも、それが自分にとって一番幸運だったと思います。どれだけ難しいかわからなかったからこそ、一心に進むことができました。

そもそも、「指揮者のキャリアを始めるには、こうしてこうしてこうしないといけないんだよ」と教えてくれる人も説明できる人も、僕の周りにはいなかったのです。バイオリンやピアノなら、先生がいて、このエチュードがあって、毎週レッスンやって、コンクールやってと、ある程度のタイムラインやキャリアパスがありますよね。でも、指揮者は一切ないのです。音楽界では一番上のポジションであるにも関わらず、ほとんどの人が何がどうなってああいうふうになっているのかわからない。

– ご両親がしてくれたことでつながっていると思うことは?

これというものはないと思います。ただ、自分が失敗を恐れない性格なのが、自分のアイデンティティに一番強いかな。失敗を恐れない理由は、誰でも失敗することがあると思っているからです。

例えば、おいしいものを食べますよね。これっておいしいよねと思えるのは、なぜかというと、まずいものを食べたことがあるからです。同じような料理でも、「こっちのレストランより、あっちのレストランがおいしかったよね」とか。人生もキャリアも、まったく一緒だと思っています。たくさん失敗して、断られた経験があるからこそ、一つ何か成功したことに対して感謝の気持ちが強くなる。断られることや失敗を恐れて避けていたら、一生それがわからない。僕の場合、失敗して、間違いをして、どん底に落とされる経験もしてきたから、いいことが起きた時に、それを大切にしてきました。大切にするというその気持ち、その感情、その感動を肌で感じているからこそ、失敗を恐れない。それが幼い時から自分の DNA にあると思います。

指揮者の世界もそうです。指揮者が音楽をやるのに失敗を恐れて、迷惑をかけたくないと思い、オーケストラが喜んでくれるようにやったり、お客さんが喜んでくれるようにやったりするのは、完全に偽物。それなら、いてもいなくても変わらない。みんなに好かれるために行動するリーダーほどリーダーではないわけですよ。嫌う人がいたとしても、何か違う目線やモチベーション、アイデンティティを持って来てくれる、それが指揮者であり芸術家なのではないかと思っています。

©Claudia Hershner

– もし、原田さんがまだ指揮法を勉強している大学生で、プロのキャリアは始まっていなかった時にこのパンデミックが発生して、コンサートの機会やオーケストラのポジションなどが減っていくのを目の当たりにされていたら、どんな影響があったと思いますか。

僕がまだ大学生だったら、パンデミックで世界の音楽活動が止まった時間を、ラッキーだと思っていたと思います。ほとんどの学生がパンデミックのせいでオーディションができなくなったり、学校に行けなくなったりして、落ち込んでいたり、世界が自分を嫌っているかのように感じているわけですが、気づいてもらいたいのは、自分の人生だけが止まったのではなく、世界全部が止まっているわけで、自分たちのまわりの仲間やライバルも同じ状況にいるということです。

本当にすばらしいと思うのは、バイオリニストのヒラリー・ハーンが、自分の練習を毎日公開していること。世界のトップの、さらにトップの彼女でも、コンサートはないけれども時間はあるということで、パンデミックだろうと何だろうと関係なく練習してレベルを上げていっています。「これをやるしかない」「これをやるチャンスだ」と見ることができている方が、結果的にはパンデミックが終わったらプラスに出てくるのではないでしょうか。何もかもプラスにしないと辛いだけです。この状況をチャンスとして見えない限りは前に進めないので、どうやってもいいからポジティブに見えるような方法を見つけるのがベストですね。

あと、音楽がすべてではないんだよということにも気づいてもらいたいですね。もちろん、音楽にコミットして、音楽で暮らしていきたいというのは素晴らしいと思います。でも、人間としてオールラウンドになるには、そうじゃない。一つだけやるのもいいけれど、人生はそれだけじゃない、自分の世界をもっと広げてほしい。

だから僕が大学生としてこの状況にいたら、誰もやっていないことを探していると思う。それが一つ目。二つ目は、勉強に追いつくこと、追い越すことをしていたでしょうね。学校がある間は、リハーサル、試験、勉強と、ノンストップ。ということは、自分の技術レベルを上げるための勉強にとれる時間がすごく少ないわけですよね。でも今は、やろうと思えば100%の時間を、バイオリンならバイオリンにあてることができる。今も練習して、ぐんぐん伸びていっていたら、パンデミックが終わった時に「がんばっていて良かった」と思えます。

そして、パンデミックでも家でできることで世界的にヒットすることもできますよね。例えば TikTok などのソーシャルメディアでいきなり面白いコンテンツを作ったりする可能性はあるわけです。コラボレートしたことがない人たちや、音楽とは全然関係ない人たちとオンラインで何かやったり、デジタルメディア、ソーシャルメディアを使った面白いものを発見したり。何をやっても可能性があるんだと、オープンマインドになってほしいです。

僕なんて、勉強したいことがたくさんあって、パンデミック中にオンライン大学に行きたかったぐらいですよ(笑)。

– 今、アメリカは分断されていると言われていますが、原田さんはアジア人としてアメリカで活動するにあたって、その分断を感じますか。また、感じるとしたら、アジア人の自分にどんな役割があると思われますか。

それはいい質問ですね。僕の場合、2001年にアメリカに来てから、共和党の強い州かスイング・ステート(激戦州)にしか住んだことがないのです。高校から大学院まで、どれだけ人種差別的な発言を受けたかわかりません。でも自分がマイノリティという環境でプラスになることができるのではないかという考えがあったので残りました。嫌だったら逃げていたと思います。ミシガン州から行ったアリゾナ州ではツーソンもフェニックスもアジア人が多かったので差別的なことはなく、その次に住んだオハイオ州は超スイング・ステートでもアジア人がたくさんいるので、差別的なことはありませんでした。でもアメリカの都市部から遠い、本当の田舎では、アジア人はテレビなどで見るもの。本当に知らないのですよ。僕もアジア人を見たことのない子どもに指を指されて、大人には「あれはアジア人というものだ」と説明されたりしました(苦笑)。

そんなふうにアメリカのいろいろなところに住んで、ほとんどの州に行って、いろいろ見てきましたが、シアトルや西海岸のようにアジア人が多い都市部にずっといたら、それほど激しい分断を感じないと思います。でも、今僕が住んでいるジョージア州のサヴァンナという街では、僕は芸術のことに関しては存在が知られていますし、誰でも声をかけてくれる。街自体がそういう感じではあるのですが、人種間の分断はすごく感じます。コミュニティも分かれていて、シンフォニーはお金を持っている人がやることと思われています。

でも、僕は「音楽はみんなのもの」、”Music is for everyone” と思っていますし、サヴァンナ・フィルハーモニックもそう言っていて、それを本当に信じていますから、行動して信用してもらうしかありません。だからこそ僕は黒人コミュニティにオーケストラを持っていって演奏したりしていますが、無料でやると、それもまた差別になる。そこで「戦っている」と僕は言いたくないのですが、難しいですね。でも、人生でのチャレンジですから、がんばってやっていますよ。

– ぜひまたシアトルに来ていただいて、その時は劇場で聴けるようになることを願っています。

本当にそうですね。こういう機会は一つ一つが勝負です。今回のシアトル・シンフォニーとの初共演もそうです。先ほど成功についてお話ししましたが、もう一度呼んでいただいたら、前回が成功だったことがわかる。それが指揮者として本当の意味での成功ではないかと思っています。

原田慶太楼 略歴:1985年、東京生まれ。米国インターロッケン芸術高校音楽科でフレデリック・フェネルに師事。20歳でジョージア州メーコン交響楽団アシスタント・コンダクターに就任。ロシアのサンクトペテルブルクでも指揮法を学び、2006年21歳のときにモスクワ交響楽団を指揮してデビュー。2010年タングルウッド音楽祭で小澤征爾フェロー賞、2013年ブルーノ・ワルター指揮者プレビュー賞、2014・2015・2016年米国ショルティ財団キャリア支援賞を連続受賞。シンシナティ交響楽団およびシンシナティ・ポップス・オーケストラのアシスタント・コンダクターを務め、2020年からジョージア州サヴァンナのサヴァンナ交響楽団の音楽&芸術監督。2021年4月に東京交響楽団・正指揮者にも就任する。アメリカ、ヨーロッパ、メキシコ、アジアのさまざまなオーケストラと共演し、オーケストラやオペラのほか、室内楽、バレエ、ポップスやジャズ、そして教育的プログラムにも積極的に携わっている。
【公式サイト】kharada.com

取材後記:原田さんがシアトル・シンフォニーを指揮されることをツイートしたところ、すぐシェアしてくださり、インタビューを申し込むとすぐにご連絡をいただくことができました。YouTubeで開設されたチャンネルでのおしゃべりやツイッターで感じられる、気さくで、とてもまっすぐなお人柄そのもの。1時間半にわたりいろいろなことをお話ししましたが、原田さんの明るさの後ろには、ものすごい努力をして失敗もしてきたことによって培われた自信、音楽と自分の関係に対する真剣さを感じました。シアトル・シンフォニーとの共演が今から楽しみです。

聞き手:オオノタクミ

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