幼い頃からの「世界に通用するバレエ・ダンサーになる」という夢を、オレゴン・バレエ・シアターで実現させた飯野有夏(いいの・ゆか)さん。10年にわたりさまざまな公演に主役として出演し、2013年の『白鳥の湖』全幕公演を最後に引退した後は、バレエのインストラクターとして後進の育成に関わりながら、ヨガのインストラクターとしても活動しています。昨年シアトルに拠点を移した飯野さんに、バレエとの出会いや、「ヨガに助けられた」という現役時代などについて、お話を伺いました。
【インスタグラム】www.instagram.com/yucapizzi/
「世界に通用するバレエ・ダンサーになる」
バレエに興味を持ち始めたのは、母がバレエ鑑賞が好きで、海外のバレエ団が日本公演をするときに連れていってくれたり、ビデオでバレエを見ていたりしていた影響があると思います。
私は群馬県の出身で、山本禮子バレエ研究所でバレエを始めたのですが、シアトルのパシフィック・ノースウエスト・バレエで長く踊ってらっしゃった中村かおりさんは、同じ群馬県のご出身で、同じ研究所の憧れの大先輩。幼い頃に中村さんやその年代の先輩の舞台を観ながら、「絶対に私もああなりたい」と思っていました。
山本禮子バレエ研究所は実家から車で30~40分ぐらいのところにありましたが、中学校入学と同時に、同じ建物の中にあった寮に入り、バレエレッスン中心の生活を送っていました。当時は外出も週に一度、近くのスーパーマーケットに2時間ほど行くぐらいで、寮の規則も厳しかったのですが、「絶対にバレエ・ダンサーになる」という気持ちは変わりませんでした。
中村さんをはじめ、海外のバレエ団に入団した卒業生の方々がオフシーズンの夏休みに日本に帰国して公演をしてくださったりしたので、その姿を見ればインスパイアもされますし、ますます気持ちが強くなりました。バレエはアメリカとヨーロッパ、ロシアとチョイスがありますが、私は本当に中村さんに憧れ、振付家のジョージ・バランシンの作品に惹かれていたので、最初からアメリカに行くことを考えていました。
高校卒業後に単身渡米
アメリカに来るのに一番大変だったのは、滞在するためのビザです。バレエ・ダンサーで海外のカンパニーに入る場合、最初にバレエ・スクールに留学していると、その流れで人脈ができたり、空席の情報も得られたりしますが、私は高校を卒業してから一人で渡米したので、コネクションもなく、自分であちこちのカンパニーに連絡を取ってまわっていました。
特に、2000年代のはじめは、ダンス・カンパニーが今のようにオンラインでたくさんの情報を発信していなかった時代。あの9/11(編集部注:2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件)の直後でもあったので、外国人の雇用に積極的なところはありませんでした。まず「就労ビザを持っているか」と聞かれ、「ポジションの空きがない」と言われて断られることが多く、就労ビザをスポンサーしてくれるカンパニーとのご縁がなかなかできませんでした。
そんな時、中村かおりさんが「シアトルに来たら」と声をかけてくださったことがきっかけで、パシフィック・ノースウエスト・バレエでクラスを受けてみました。芸術監督(当時)のケント・ストウェルさんとフランシア・ラッセルさんのご夫妻に「現時点ではポジションがない」と言われたのですが、「息子で振付家のクリストファーがオレゴン州ポートランドにあるオレゴン・バレエ・シアターのディレクターになるので、オーディションを受けてみたらどうか」と勧められました。
その時にオレゴン・バレエ・シアターについて初めて知ったのですが、すぐにオーディションを受けて入団が決まるという急展開となりました。2003年のことです。
当時のオレゴン・バレエ・シアターは規模が小さく、ランキングもなかったのですが、徐々に規模が大きくなり、2007年にランキングができて、プリンシパルに。それから2013年に引退するまで10年にわたり、さまざまな作品を踊らせていただきました。芸術監督のクリストファーには、感謝してもしきれません。
バレエ・ダンサーを目指している若い人たちにアドバイスを求められたら、「自分の決めた道を、あきらめないこと。自信をもって進むこと」と伝えています。絶対にバレエ・ダンサーになりたいなら、何かがうまくいかないからやめてしまうのではなく、うまくいかなかったら、違う方向から試してみること。最近、子どもの頃にバレエの先生に言われてつけていたバレエ日記を見直す機会があったのですが、「負けるな」とか、「あきらめない」とか、毎日のように書いていました。あの頃の気持ちがよみがえります。
心と体を落ち着かせてくれるヨガとの出会い
バレエ・ダンサーは日々のトレーニングが欠かせませんが、休みの日にヨガもやり始めたところ、気持ちが良くて、続けるようになりました。
バレエはとてもコンペティティブな面のある世界なので、ケガは身体面でのダメージに加えて、精神面でのダメージが大きいものです。私は現役中にケガが多かったのですが、自分の中にあるネガティブなものや、相手から受けるネガティブなものを消化することを、ヨガが助けてくれました。
ヨガというと、どれだけ体が曲がるか、動くか、足が上がるかなどに目が行きがちです。でも、私は自分の経験から、ケガがないように、体を痛めないように、体のアライメントに気を付けることを基本にして、呼吸に意識を向けながら、体を動かすことを大切にしています。
最初は、「ヨガを教えるのだから、自分は完璧に落ち着いていけないといけない」などと考えてドキドキしていたのですが(苦笑)、今は違います。生活している中で、いろいろな感情は起こるものですから、「ヨガを通して、落ち着く術を知っている」というぐらいのつもりで、リラックスするようになりました。
ヨガをすることで、呼吸が深まって、心も体もすっきり落ち着くことができる。自分がブレないでいられるというか、気持ちが前向きになる。それが本当に大切だと思っています。
これからシアトルのコミュニティのみなさんとも積極的につながっていけたら嬉しいです。
飯野有夏(いいの・ゆか)略歴:群馬県出身。1985年、山本禮子バレエ研究所に入所。幼稚園の卒園文集で「夢は世界に通用す るバレリーナになること」と宣言し、小学校卒業を機にバレエ研究所で寮生活を始め、中学校卒業後は学校法人群馬常盤学園常盤高等学校体育コースバ レエ科に進学。卒業後、単身渡米し、2003年にオレゴン州のオレゴン・バレエ・シ アターに入団する。すぐに主役に抜擢され、2007年にプリンシパルに昇格し、2013年に『白鳥の湖』全幕公演を成功させ引退。その後、全米ヨガアライアンスRYT200 を修了し、全米ヨガアライアンス認定ヨガインストラクターに。現在はシアトルを拠点に、米国や日本などでバレエとヨガのインストラクターとして活動中。
聞き手:オオノタクミ 写真提供:飯野有夏