日本とアメリカを行き来しながら演奏活動を続けると同時に、後進の指導にも取り組んでいる、バイオリニストの橋森ゆう希さん。11歳で名教授ザハール・ブロン氏に師事し、ドイツを拠点に大学までヨーロッパ各地で過ごした後、2007年に渡米してルーズベルト大学シカゴ校パフォーミングアーツ音楽院でシュムエル・アシュケナージ氏に師事。現在は本土で日本に一番近い街シアトルを拠点に演奏活動や指導を行い、オンラインレッスンを通じて世界中の生徒たちともつながっています。
写真:本認提供
バイオリンとの出会い
3歳の誕生日にバイオリンをプレゼントされたのが、そもそもの始まりです。でも、その時のことはまったく覚えていません。母が弦楽器に興味を持っていたこともあり、誰かと一緒に演奏する機会の多いバイオリンを選んだようです。また、私が小さかったので、成長に合わせてサイズを変えられるバイオリンが適していると考えたのだと思います。
バイオリニストの家庭に生まれたわけではなく、音楽の道に進むことを最初から決めていたわけでもありません。でも、3歳で小さなバイオリンを手にし、近所の先生に師事しながら学び始めました。その後、先生の導きのもとでさまざまなコンクールに挑戦し、オーケストラとの共演など貴重な経験を積んでいきましたが、さらに、その先生から別の優れた指導者を紹介されるなど、多くの方々の支えによって音楽の道が開かれていきました。
そして、小学校2、3年生の頃にはテレビへの出演もあり、「バイオリニストになりたい」ではなく、「自分はそういう人なんだ」と思っていましたね。好きだからやる、嫌いだからやめる、という選択肢があるのではなく、バイオリンはすでに私の人生になっていたのです。
小学校から数々の賞を受賞し、11歳でドイツへ

11歳の時、当時から世界最高のバイオリン指導者と言われていたザハール・ブロン先生の前で演奏する機会を得たのですが、「今すぐドイツに来なさい」と声をかけていただきました。当時の師だった辰巳明子先生も「こんなチャンスはない」と背中を押してくださり、母とともにドイツへ渡ることを決意しました。
そして、ケルン音楽大学に最年少特待生として迎え入れられ、ブロン先生の指導を毎日受けながら、彼の門下生として世界各国を巡る生活が始まりました。先生は、明日はフランス、 3日後はスペイン、その3日後はロシア、その次はイタリア、そしてスイスというように、ヨーロッパ各地を転々としながら、たくさんの人たちに教えたり、門下生のコンサートをしたりしています。私もまるでスタメンのようなグループの生徒の一人としていつも同行し、毎日のように新しい国を訪れ、まさに遊牧民のようでしたね。毎日、行く先々で世界中から先生の教えを請う人たちが集まっていて、そんなたくさんの人たちの前で演奏したり、レッスンを受けたりしていました。
でも、大学でのバイオリンだけでなく、現地の小学校や中学校、高校にも通いたかったので、小学校と大学、中学校と大学、高校と大学というように、ずっとダブルスクールで通っていました。私には、音楽の世界にいる自分も、そうではない日常の、例えば学校生活や、自分がバイオリンをやってることを知らないお友達と一緒に過ごすことも、どちらもとても大切だったのです。音楽の世界だけになってしまうとすごく苦しいことも多かったので、その両方があることで自分のバランスを取っていたのですね。
現地校はいつも楽しかったです。もちろん、音楽の仲間たちも大好きでしたが、いろいろな国を転々としてドイツに戻ってきた時に、「明日は普通の学校に行く」「明日は別の場所に行く」ということは、音楽的な自分の支えでした。
アメリカでの学びと体験
そんなふうに長くヨーロッパで過ごしましたが、当時教えていただきたかったシュムエル・アシュケナージ先生に「どこなら先生に教えていただけますか」と尋ねて、先生が一番たくさん教えているというアメリカのシカゴにあるルーズベルト大学パフォーミングアーツ音楽院に来ました。
アメリカの大学では、音楽を「ビジネス」として捉えて、文化芸術をどのように仕事にしていくのかという現実的な部分を学ぶことができました。日本やヨーロッパでは教えてもらわなかったことで、とても合理的ですね。さらに、医者や弁護士を目指しながら音楽を学ぶ学生も多く、そうした多様な価値観にも刺激を受けました。
出産・育児を機に変わったバイオリンとの向き合い方

学生だったり、独身だったり、いろいろな人生のステージでアメリカには長く住んでいますが、今、子どもを育てる段階に来て初めて、アメリカの新しい良さに気づきました。地域差はあるかもしれませんが、ここではそれぞれの才能や特性を尊重し、サポートしていく教育方針があり、その点で日本とは大きく異なりますね。特に、自己肯定感を育む点で大きな違いを感じています。
また、母になって、演奏への理解が深まった部分も多いです。例えば、曲の中で「子どもをなでるような音」「寝ている子どもに聴かせるような音」を意識する表現があります。以前は理解していたつもりでしたが、自分が母親になって初めて本当の意味でわかるようになった気がします。
また、指導者としても、子どもへの言葉のかけ方や教え方が変わりました。若い頃から子どもに教えてきましたが、今なら、どの言葉がその子に響くのか、どう伝えたら理解しやすいのか、こういうふうに練習したら良くなるとか、子育てを通じて学んだことを生かせていると感じます。
チャリティ活動への想い
音楽は、ただ演奏するだけではなく、誰かのために何かをすることができるものだと思っています。
ドイツにいた頃からチャリティ活動をしてきましたが、中学生の時はアフリカの町に小学校を建てる支援をしていました。国際交流関係者の方と一緒にコンサートを開いて、そこで現地のお話を聞き、私は「現地に行って演奏したい!」と言ったのですが、当時の私には予防接種や公衆衛生面でハードルが高くて、結局行くことができませんでした。そこで、日本でもドイツでも何度かチャリティコンサートを開いて、そこで得た収益を全部、子どもたちのために送ることになりました。学校を建てたといっても、本当に立派な建物を建てたわけではなくて、屋根があって、机と椅子がある場所があれば、子どもたちは学べるという環境だったので、それを何とかしたかったのです。
また、日本ではあしなが育英会のチャリティにも関わらせていただきましたが、アメリカに来て出会ったある女性があしなが育英会の支援を受けて学校に通い、フライトアテンダントになったと話してくださいました。「本当に助けられたんです」とおっしゃっていて、こうやって支援がつながっていくんだと、改めて実感しました。
チャリティは、一回やったら終わり、ではありません。ずっと続けていかないと意味がないものです。東日本大震災のときもそうでした。当時はシカゴにいましたが、市長さんも出席した大規模なチャリティイベントで演奏し、寄付を募る支援活動をしました。最近では、シアトルの近くのバション・アイランドで行われた能登半島地震の復興支援のチャリティイベントでも演奏しました。災害が起こると、最初のうちはたくさんの人が助けようとしてくれますが、忘れられかけたころが一番大変ですから、支援が途切れてはいけないと思っています。
幼いながらも留学する子どもたちへのメッセージ
私がそうだったように、今も幼い頃から海外留学をしている子どもたちは多くいますが、大切なのは、音楽だけでなく広い視野を持つことだと思います。音楽は、恋愛や戦争、歴史など、すべての文化とつながっています。「この時代にこんな戦争があったから、この作曲家はこの曲を書いた」「この時代はこういうことが禁止されていたから、こういう音楽になった」といった背景を知らず、練習室で練習するだけでは学べないことがたくさんあります。外の世界に出て、美術や歴史、異文化に触れることで、人間として成長し、それが音楽の表現にもつながると思います。
また、音楽が人生のすべてではなく、たくさんの選択肢がある中で「バイオリンを選ぶ」ことが大切だとも考えています。「バイオリンしかない」というよりも、「いろいろなものの中でバイオリンが好きだから選んでいる」というほうが、すごく説得力があるし、自分でも納得できると思うんですよね。私は幼い頃からずっとそう思っています。もちろん、「これしかない」と思う強い気持ちもわかりますし、それが原動力になることもあると思います。でも、私は人として成長していく中で、その延長線上に音楽家としての自分がある、という順番を大事にしたいといつも思っています。
この考えは、子育てにもつながっているかもしれません。私は自分の子どもに対して、もちろん何かあれば応援したいし、サポートしたい気持ちはあります。でも、子どもの人生は子どものもの。私が何かを与えるのではなく、子ども自身がどうしていくかを見守ることが大事だと思っています。
バイオリンが導いてくれた人生

幼い頃からずっと一緒に過ごしてきたバイオリンは、私をいろんな世界へ連れて行ってくれる存在です。
バイオリンがあったからこそ、普段会えないような人々に出会い、訪れることのなかった国へ行くことができました。
そして、以前は「自分を表現したい」「こんなこともできると見せたい」という思いが強かった時期もありましたが、今は「聴いてくれる人たちが喜んでくれること」を最優先に考えるようになりました。
演奏を通じて人々に感動を届けること、そしてその場の雰囲気に合わせて音楽を提供することに、今は大きなやりがいを感じています。
幼い時から、本物の音楽を
今後は、子どもたちにアメリカでの生活や教育、音楽の環境を経験してもらう機会を作りたいと考えています。短期滞在プログラムや音楽祭の開催を視野に入れ、子どもたちが自由に音楽を学び、楽しめる環境を提供していくことが目標です。
また、クラシック音楽をもっと身近なものにするために、子どもたちが自由に聴ける演奏会の機会を増やしたいとも考えています。幼い時から、本物を聴くことが大切。大人と同じプログラムを、子どもたちにも気軽に楽しんでほしいと思います。
橋森ゆう希(はしもり ゆうき)略歴
埼玉県生まれ。3歳でバイオリンを始め、数々のコンクールに最年少で受賞。11歳で世界最高のバイオリン指導者と言われるロシア出身のザハール・ブロン教授に師事し、ケルン音楽大学の最年少特待生となる。2007年、シュムエル・アシュケナージ氏に師事するため渡米。2011年にルーズベルト大学シカゴ校パフォーミングアーツ音楽院を卒業。現在はシアトルに拠点を起き、日米で演奏活動、後進への指導やチャリティ活動にも携わっている。一児の母。
X(旧 Twitter):@yuuki_hashimori
インスタグラム:@yuuki_hashimori
4月23日に開催されるワシントン州日米協会のアニュアル・ミーティング&スプリング・ガラで、橋森ゆう希さんが演奏します。どなたでも参加できますので、詳細は下記でご覧ください。

ワシントン州日米協会の活動と今後の展望
ワシントン州日米協会(JASSW)は、1923年の創立以来、日本とワシントン州の友好と相互理解の促進をミッションに掲げ、文化・経済交流の機会を提供してきました。現在、ワシントン州に拠点を持つ日系企業や、スターバックス、コストコなど州を代表する企業を含む約70社がコーポレート会員として参加し、社員や個人会員を合わせた約500名がイベントやプログラムを通じて交流を深めています。
また、アニュアル・ミーティングや7月開催のゴルフ・トーナメント、ホリデー・ガラを通じたチャリティ・ファンドの募金、さらに政府・企業からの助成金を活用し、無償プログラムの運営も行っています。一例として、1994年に開始した 「Japan In the School (JIS)」 プログラムでは、日本文化を現地の小中高校で紹介し、ワシントン州の子供たちに異文化交流の機会を提供しています。
さらに、2022年にスタートした 「Small Business Support (SBS)」プログラム では、ワシントン州商務省の Small Business Resiliency Network(SBRN) と連携し、英語が母国語でない日本語のスモールビジネス事業者向けに、政府サポート資料の和訳提供や会計・法務・IT関連の無料ワークショップを開催。また、Washington State Microenterprise Association(WSMA) の助成金を受け、シェア・キッチンを活用したフードビジネスのインキュベーションも行っています。
世界情勢がめまぐるしく変化する中、JASSWは今後も草の根レベルでの市民交流を大切にし、2025年も多様なイベントやプログラムの拡充に努めてまいります。ワシントン州日米協会の活動にご興味のある方は、アニュアル・ミーティングをはじめとするイベントにぜひご参加ください。企業・個人会員の登録については、ぜひ当会のウェブサイトをご覧ください。
ワシントン州日米協会:https://jassw.org
イベント情報: https://jassw.org/events
会員登録: https://jassw.org/join-us/
メールアドレス:jassw@jassw.org