山根由貴先生
教職歴10年。兵庫県からの派遣教員として、2017年8月よりシアトル近郊のケント学区にあるケントレイク高校に赴任。日本語授業を担当している。
私が兵庫県の教員派遣事業に応募した動機は、教員になってから10年目の年を迎え、違った視点から外国語教育を考察し、生徒の学ぶ意欲や実践的な運用力を育てられるような指導の可能性を見出したいと思ったことがきっかけです。
勤務校であるケントレイク高校では、「文化と言語活動を繋ぐ」、「表現力を伸ばすための活動」という視点で日々授業に取り組んでいます。そして、制度や環境は違っても、日本の英語の授業ならこれをどう生かすか、ということを常に考えながら勉強しています。
評価方法の違い
まずアメリカの教育でうらやましいと思ったのは、評価の仕方です。
日本では、同じ学年が受ける科目(コミュニケーション英語や英語表現など)は、学期末・学年末に全員一斉に成績をつけます。ですから、教える内容をある程度統一し、成績の大部分を占める総括的評価をペーパーテストに頼らざるを得ません。また、1人の先生が生徒にプレゼンテーションをさせて、それを評価に入れたい場合、他の先生方にも同じことをしてもらうか、やるにしても、小さな割合でしか成績に反映させることができません。当然、生徒はペーパーテストに何が出るのかを一番に考えてしまいます。
一方、アメリカでは、自分が示したシラバス通りに自分のクラスの生徒を評価します。ケントレイク高校の日本語授業では、基本的にペーパーテストを行っていません。その代わり、レッスンごとに行うプロジェクト(発表、インタビュー、ロールプレイ、スキット、作文など)が主な評価材料になっています。
毎回ルーブリックを生徒に示し、その達成度で評価が決まります。ルーブリック評価は、何を達成できたか、何が足りなったかが生徒にも教師にも分かりやすい方法です。目標達成のために何をすべきかが明確で、授業が完全にバックワードデザインできるので、「指導と評価の一体化」がしやすいと言えます。
また、出欠管理や成績を含めた個人データが完全にシステム化されており(ケント学区は Skyward を使用)、今の成績を親も子どももオンタイムで確認することができます。今の状態を生徒も家族もはっきり認識できるため、次の学習へのモチベーションにもつながります。
そして、一番驚いたことは、アセスメントの日に欠席、あるいはもう少し上の成績がほしいと思った場合、定められた期限以内ならもう一度やり直せるということです。はじめは、生徒がやるべき日にがんばらず、後でやり直せるからまあいいかと思ってしまわないのだろうかと考えていました。しかし、やり直しを申し出る生徒は本当に真面目で、努力して準備してくる場合がほとんどです。そもそも不真面目だったら、remake すらせず、それで成績が F のままでも自己責任、というわけです。かなり自立心が必要ですが、やる気のある生徒をサポートできるのも教師として嬉しいことだと感じます。
個々を大切にする文化
やはりアメリカは多民族国家・個人主義の国。教育にもそれがよく表れています。学習障害や特別な配慮が必要な生徒にはインタビューの代わりに作文にしたり、時間を長く設けたり、生徒に有利に働くように全面的にサポートします。家族の都合や心身の不調で長期間学校を欠席することになっても、戻ってきたときには自然に教室に入って、"Welcome back!" とクラスメイトや先生から温かい言葉をもらいます。
特別支援教育も普通教育も同じ学校に通っているのも特徴。車いすの生徒がいるのが日常の光景で、知的障がいがあっても行事で一緒に活躍したり、お互い友達になったり、「みんな違って当たり前」というのが自然に身につく環境なのだと思います。ある科目だけ支援教育も履修するなど、授業の取り方は千差万別です。何が普通で何が特別なのか、はっきりとした線引きをすること自体が難しい世の中で、日本の教育を思うといろいろ考えさせられます。
褒めて伸ばす
アメリカの先生方は生徒に対して本当に寛大で、辛抱強く向き合っていると思います。また、職員全体が「1人1役」の仕事なので、そうする心の余裕も生まれるのだと思います。授業に集中できない生徒や問題行動がある生徒にも "Can you…?" "Do you want to…?" "Show me what you can." のような、意思確認や励ましの言葉が飛び交います。そうすることで、生徒が自分の意志で自分をコントロールすることを学んでいくのでしょう。
人間誰しも、できないことに対する劣等感やできるようになりたいという希望を持っているといいます。私自身、周りの先生方に励まされたり、褒めていただくことでモチベーションが上がったりします。授業では、日本以上に「褒めて伸ばす」ことを意識しています。
「もっと上を目指してほしい」という思いから、ついついできないことに目がいってしまうのが悪い癖ですが、「個人の達成度」を考えると、褒める材料はたくさんあることに気づかされます。大切なのは、今はこれができる、次はもっとこうしたい、と生徒自身の心で感じられるようにサポートすることだと思っています。
外国語教育
高校の成績評価方法や大学入試制度の違いも大きく影響するためか、外国語教育でも「試験」のための授業ではなく、「実践的なコミュニケーション能力」を育てる教育が行われています。(そして、もちろんそれが最終的にはAP試験に対応できるレベルになるように4年間の見通しが立てられています。)冒頭で述べたように、個人的には「文化と言語活動を繋ぐ」、「表現力を伸ばすための活動」というテーマを持って授業に取り組んでいます。
日本文化は伝統的なものからポップカルチャーまでさまざまですが、単に紹介したり、楽しいと思って終わりにしたりするのではなく、それを使っていかに言語活動に結び付けるかが課題です。
例えば、2年生の「授業」というユニットでは日本で撮影した学校の様子を生徒に見てもらいました。また、日本の生徒ともビデオプロジェクトの交換をしました。そして、何が見えたか、わかることは何かなどできる範囲の日本語で、グループで話してもらいました。
3・4年生は「学校行事」に関して作成した読み物を基に、日米比較をし、ユニットの最後には日本語の応援をしながら、体育祭も行いました。また、1年生は「家族」のユニットでサザエさんを教材にしました。
小さなことの積み重ねですが、学習項目にうまく絡めることで、生徒の興味を効果的に引き出し、学習の助けやモチベーションの向上になっているように思います。また、文化と言えばステレオタイプなものを思い浮かべがちですが、外国に行って初めて気づく日本人の細やかな心遣いや配慮など、目に見えない部分も文化の要素だと思います。そういったものをうまく授業に使えるよう、模索しています。
また、日本語授業ではほぼ全て日本語で授業を行っています。初めはどれくらい伝わっているのか不安でしたが、ジェスチャーを交え、わかっている生徒が積極的に発言してわからない生徒にすべき活動を教えてくれます。ただ、やはり何を言っているのかわからなくて困っている生徒もいるので、必要に応じて英語で説明したりします。
最終的には、学んだことを自分の言葉で表現することが目標ですが、いきなり「○○について話して(書いて)ください」と言っても、無理なのは当然です。ゴールを意識しながら、五感を使った効果的なインプットを十分行うことで、生徒の知識も蓄積され、やがて自分のものになっていく様子がよくわかります。絵や写真、動画や音声、時にはゲーム形式の活動を入れるなど、試行錯誤しています。学習のきっかけとしての「楽しさ」が、できるようになって「楽しい!」に変わるように、残りの期間しっかり努めたいと思います。
掲載:2018年1月 文・写真:山根由貴