廣畑陽子先生
教職歴16年。兵庫県からの派遣教員として、2017年8月よりシアトル近郊のレドモンド学区にあるレドモンド高校に赴任。日本語授業を担当した。
2020年(平成32年)の東京オリンピック・パラリンピックを見据え、これまでの文法重視の英語教育ではなく、「英語を使って何ができるか」に焦点を当てた新たな英語教育を展開する動きが本格化しています。授業以外に英語を定着させる機会はほとんどない日本では、授業で生きた英語に触れたり、実際に使ってみたりできる機会として、Assistant Language Teacher(以下ALT)との授業がとても大切です。
私は兵庫県で教員を始める前の1999年から2001年の2年間、ミネソタ州で日本語を教えたことがあったので、その経験を活かすことができるのではないかと考えたのと、その ALT の立場で Team Teaching(以下TT) をさらに学びたいと思ったのが、ワシントン州赴任の主な志望理由です。
日本語教育/英語教育
レドモンド高校でサム・カイパー先生の "アシスタント" としてこの1年間働きましたが、それは期待通り本当に面白い経験でした。
仕事内容は、日本語ネイティブのリソース・ティーチャーとして、習字や年間行事、茶道、そろばん、落語などの日本文化を教えたり、日本語2年生と日本語4年生が混在するクラスでどちらか片方を担当したりするほか、主にカイパー先生が教えて、私がそのサポートするというものでした。
文化に関しては、インターネットの普及から、今は何でもリソースが手に入る時代です。折り紙くらいならみんな一度はやったことがあるので、とにかく生徒が未経験かつ、そのクラスでしか学べないようなポイントを入れて教えるように心がけました。一人で授業を担当するときは、なるべく生の日本語を生徒が聞けるように、知っている語彙を駆使して日本語で話すようにしました。
以上のことも面白い経験でしたが、一番興味深かったのはアシスタントとしてカイパー先生と TT をしている間の心理です。自分主導でクラスを教えていた時は、すべての責任が自分にかかる分、その重圧は大きかったのですが、上手くいったときの達成感も大きく、それが私の教員を続けるモチベーションにもなっていました。しかし、アシスタントとして働くうえで、重圧感は大きく減った半面、自分の立場が不安定で虚しさを感じる時も少なからずありました。1学期が終わった後のアンケートでは、学習進度の遅い生徒や自分から質問をしにくいという性格の生徒から、教員がもう一人教室にいることがとてもありがたいという意見がたくさんあって救われましたが、4年生や AP などクラスにすっかり慣れた少人数のクラスでは、正直、自分が役立たずのように感じる時もあり、2人の教員が1つのクラスに入ることの難しさを感じました。
日本で英語教師として働いた15年の間に6人の ALT と仕事をする機会があり、似たような心理になったという話を聞いたことはありましたが、聞くのと実際に自分がその状況に陥るのとではまったく違いました。進んで ALT の世話係をして、彼らのことをよく知っているつもりだったのに、彼らがどのような経過を経て学校で働いているか、いかにして文化の違いなどのストレスと付き合いながら働いているか、クラスの中でどのような心理状態にさらされるかは、考えることができていなかったように思います。この1年間で、そのようなことを実際に自分が体験し、実感したことによって、何をしたらもっといい関係を築き、効果的な TT ができるかについてのヒントを得ることができました。
アメリカの高校/日本の高校
アメリカの高校と日本の高校の違いはこれまで3人の先生方が十分に語ってくださっている通りです。アクティブ・ラーニング、ICT の活用、授業と評価の一体化、特別支援教育、日本でまだ発展途上にあるこれらのことが、こちらでは当たり前に行われていました。
私が以前ミネソタ州で教えていた2000年のあたりではまだ OHP(透明シートを使用した投影型表示装置)を使っていましたが、18年の間にそれは大きく変わっていました。授業内容や成績の管理、宿題の提出まですべてが電子化され、生徒が学習しやすい環境が整っていました。
残念ながら、日本ではいまだに学校内のテクノロジー化はあまり進んでいません。私は日本でパワーポイントや動画を使用して授業するのですが、日本では生徒一人に一台のパソコンはおろか、教室にスマートボードもないので、毎回プロジェクタとスクリーンのある特別教室を手配したり、その教室が使えない時には10分間の休み時間に TV モニターを倉庫からその教室まで運び、設置して使わなければならなかったりします。教室では Wi-Fi が使えないので、動画も授業前にすべてダウンロードしていました。こちらは ICT が進んでいる分、短い間にシステムが変わることがよくあるようなので、それについていくのが大変そうだという印象もありましたが、やはりうらやましく思いました。
また、特別支援教育に関しても、大分変わった印象を受けました。日本では特別支援を必要とする生徒はクラスに2、3名いるかどうかくらいですが、こちらでは特別支援に関する指示がクラスの大半の生徒にあります。そのレポートを見せてもらいましたが、対応は多岐にわたり、それぞれの指示は数ページにも及んでいました。支援を必要とする生徒が手厚い支援を受けるのはとてもいいことだと思いますが、これを把握し、管理する教員側の苦労は計り知れないものがあるとも思いました。
アメリカの生徒/日本の生徒
日本語のクラスを取っている生徒は、他の言語のクラスがある中から日本語を選択しているので、その時点で義務的に6年間英語を学ばなければいけない日本の生徒とはモチベーションが違います。こちらに来て「アメリカの生徒についてどう思う?」とよく聞かれましたが、私が知っているのは日本語に興味を持ち、日本語のクラスにいる生徒だけなので一概に比較はできず、答えるのに正直困りました。
ただ、他の科目の授業も参観させてもらって感じたことは、こちらの生徒は一般的に授業中の反応がいいということです。日本では自発的に手を挙げて質問に答えたり質問したりということは小学校では見られますが、高校になるとそれによって点数をもらえるとき以外はあまりありません。なので、こちらの生徒が質問した時にパッと反応してくれるのはとてもいい印象を受けました。あと、こちらの生徒は比較的プレゼン能力に優れているとも思います。恐らく低学年のころからあらゆる科目でプレゼンやプロジェクトを行い、鍛えられているからだと思いますが、私からしたらかなり難易度が高いと思われる課題でも締め切りの日に大半の生徒が高いレベルで仕上げてきたので、それには毎回驚かされました。
国土面積が狭く、人口も少ない日本。アメリカ人にとって日本語を勉強するのはスペイン語やフランス語を勉強するよりも、ずっと難しいことは統計的にも証明されています。何の目的があり、その言語を選択するのか疑問に思い、日本語を選択している生徒に聞いてみると、「アニメや文化が好き」「家族に日本人がいる」「兄弟がクラスを取っていたので自分も取った」という答えもありましたが、意外に多かったのが、「難しいから」「変わっているから、あえて取った」という答えでした。自分にチャレンジを与えたいという、このようなタイプの生徒はアメリカ特有ではないかと感じました。
この1年間ワシントン州日本語教師会(WATJ)に関わらせていただき、そのカンファレンスに参加させていただいたり、そこに所属している先生方の授業を見せていただいたりしましたが、どの先生方もとても熱心でそれぞれに魅力があり、第2言語教育をする者としてとても刺激になりました。この1年共に働いたカイパー先生も、常に新しい情報を授業に取り入れることを心がけ、準備の大変な文化アクティビティをコンスタントに取り入れるなどされていました。ワシントン州では日本語の学習者が減少傾向にあるということも耳にしましたが、勤勉でモチベーションの高い日本語学習者、そして生徒のために日々奮闘する日本語教師の先生方に支えられ、ワシントン州の日本語教育はこれからもきっと高いレベルを保っていくのではないかと思います。
アメリカの子育て/日本の子育て
アメリカには10歳(5年生)の双子を同伴してきました。自身が英語教師なので、自分の子供にも英語を教えているのかよく聞かれますが、渡米が決まってからもまったく教えていませんでした。やはり最初は英語がわからず、かなり苦労したようです。要領の良い娘はすぐ慣れて友達もたくさんできましたが、息子は授業でもただ座っているだけだったり、ルールがわからず怒られたりすることが多く、私のところにも先生から忠告のメールが何通も来る有様でした。
一人でのアメリカ滞在経験はあったものの、保護者としての滞在経験はなかったので、私自身初めてのことがたくさんあり戸惑いました。例えば、日本での宿題と言えば、国語の教科書の音読や計算ドリルなので、サポートも比較的簡単なのですが、こちらでは単に宿題と言っても、算数では専門用語や実生活で役に立つような文章題が多く、私もわからない問題がたくさんあったり、科学ではディスプレイボードに仮説から実験課程、結果まで書かなければいけないプロジェクトがあったりして、仕事が終わってから家でそれらのサポートをするのが本当に大変でした。他にも、誕生日にクラス全員にお菓子を持っていく風習があったり、バレンタインにクラスメートからカードやお菓子をもらう箱を準備しなければいけなかったり、保護者として初めて知ることがたくさんありました
子供が日本で通う小学校では、どんな事情があろうが PTA 役員は毎年選挙で選ばれ、1人につき1回は役員をしなければならないと決まっています。アメリカのPTSAは行事ごとにボランティアが募られ、それで運営されています。毎回ボランティアでまかなえるのか不思議に思う時もありましたが、中高生がボランティアをしなければならないという制度も利用して、希望者が行事に関わるという仕組みでした。私もできるときに何度かボランティアをさせていただきましたが、とてもいいシステムだと思いました。
スタート時は大変でしたが、周りの人にも助けていただき、徐々に慣れ、結果的には2人とも1年間無遅刻無欠席で現地校に通うことができました。毎朝きちんと起きてバスに乗り、通学した2人を誇りに思います。頑張り屋さんの子供たちのおかげで、この派遣期間がより豊かなものになりました。
この1年の経験を糧に、これからもがんばっていきます。お世話になったすべての方々に心から感謝申し上げます。
掲載:2018年7月 文・写真:廣畑陽子