第2次世界大戦前の1907年に四国から移民し、クボタ・ガーデニング・カンパニーを起業した造園家・窪田藤太郎氏がシアトルに開いた日本庭園 『窪田ガーデン』。開園当時の5エーカー(6,120坪)から20エーカー(約2万4,500坪)に拡張され、1987年からシアトル市が所有し管理しているこの歴史的建造物に本格的な石垣が完成したのは2015年。そのプロジェクトを発案し、完成まで携わった彫刻家・児嶋健太郎さんの実録エッセイ。
![ishigaki-project-3 - junglecity.com](https://www.junglecity.com/wp-content/uploads/2017/02/ishigaki-project-3-1.jpg)
工事が始まる前に事故のないように祈ります。左前列から、田辺さん、純司会長、純徳社長。後列右、漆原さん、隠れているのは関口さん。
ワークショップ
2014年。
夏。
とうとうワークショップが実現した。
僕の家が窪田ガーデンから2ブロックのところにあり、トイレが3つもあるので、大人数が泊まるのに都合が良かったこともあり、粟田建設の純徳社長、同社の事務の路子さん、マット(カリフォルニアの石工で、人間離れした力と技を持っている)、ジョナサン(ノースカロライナから来た石工で、マットの知人)、カイル(時々家に泊まっていったカリフォルニアのスーパー石工で、マットの仕事仲間)、そしてケビン(カイルの従業員で石工)が宿泊することになった。
その他には日本から、自称・粟田家グルーピーの漆原さん、はるばる北海道から参加した石の職人の田部さん、そして常に裏方に徹した縁の下の力持ちで石工の関口さんが参加した。
純徳社長の統率力と3人の日本勢のノウハウと経験がなければ、このワークショップはお話にならなかった。深く感謝している。
実は、純徳社長はなんと大津市の市長からの親書を携えて、観光大使のタイトルまで預けられてきた。最初の数日に純司会長も参加されたことは、とても光栄だった。
僕は家に誰がどれだけ泊まってもかまわないし、それどころかたくさんいればいるだけ楽しいじゃないかと思っていたのだが、一つ心配なことがあった。
食事である。
まさか僕が作るようなものを他人様に食べさせるわけにはいかないし(僕自身、自分で料理したものを食べられるのは、単純にどうしたらあの材料からこの惨事(料理)になるのかがわかっているからである)、食べて元気をなくしたらワークショップの成功にも響く。
うーむ、どうしたものか。
ジョイ・オカザキ理事長の活躍
窪田ガーデン側で大活躍した人を上げるとすればやはり、ジョイ・オカザキだ。他にも市や他のいろいろな団体から助成金をもらってきてくれたエレン・フィリップス・アンヘルスにもとても感謝している。
ジョイはすごく有能な人で、信じられないくらいたくさんの仕事をこなしてしまう、尊敬に値する人である。彼女は自分の仕事である大建築現場のプロジェクト・マネジャーをしつつ、ボランティアでやっている窪田ガーデンのプロジェクトもやってのけてしまう。普通の人だったらどっちかだけでも音を上げてしまいそうなくらい大変なのに、どのようにやっているのかわからない。しかし、彼女の努力とどんな細かいことも目を通しておくきめ細やかさがなかったら、このプロジェクトは実現できなかった。
![ishigaki-project-4 - junglecity.com](https://www.junglecity.com/wp-content/uploads/2024/02/ishigaki-project-4.jpg)
「Rock, People, Chisel」(石、人、鑿)という今回のワークショップの名前も彼女が付けた。これは英語のジャンケン「Rock, Paper, Scissors」(石、紙、はさみ)をもじったもので、なぜかそれをプリントしたシャツが大人気だった。
また、どう説得するのか、大きな会社から物をただで借りてきたり、宣伝になるよと言っていろいろ寄付させたり、信じられない手腕を発揮した。
ジョイは、自分のプロジェクトと自分のライフスタイルを重ね合わせることができる奇特な人のようだった。夜中の2時や3時にメールが来るのも珍しくなかった。一日に5つや6つもの違うグループとミーティング(それもリーダーとして)も平気でやっちゃう人なのであった。
一度、ジョイに、どうやったらそんなにいろいろなことをいっぺんに、それも微に入り細に入りあらゆることを想定しながらできるんだ、と聞いてみたら、答えはこうだった。
「自分は気に入った人、気に入ったプロジェクトしかしない。だから、プロジェクトを引き受ける前に、これは私の人生に組み込んでも構わないものか、と自問する。」
そして、一度引き受けたら全身全霊、持っているものすべてをぶつけるのだそうだ。
「そう、後は人と人を繋げるのが好き、って言うのもあるわね。」
頼もしい人が味方についてくれたと嬉しかった。
筆者プロフィール:児嶋 健太郎
彫刻家。グアテマラで生まれ育ち、米国で大学を卒業した後、ニューヨークの彫刻関連のサプライ会社に就職。2005年、シアトルのマレナコス社に転職し、石を扱うさまざまな仕事を手がけている。2006年のインタビューはこちら。