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第8回 石垣ワークショップに見学者が殺到?

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第2次世界大戦前の1907年に四国から移民し、クボタ・ガーデニング・カンパニーを起業した造園家・窪田藤太郎氏がシアトルに開いた日本庭園 『窪田ガーデン』。開園当時の5エーカー(6,120坪)から20エーカー(約2万4,500坪)に拡張され、1987年からシアトル市が所有し管理しているこの歴史的建造物に本格的な石垣が完成したのは2015年。そのプロジェクトを発案し、完成まで携わった彫刻家・児嶋健太郎さんの実録エッセイ。

前列(左から):フィリップ、カイル、マット、ランス、ロリン、純徳社長、漆原さん、カイル、アダム、ケビン、ドン、ハコボ、ジョナサン、マイケル。後列:健太郎、レイ、セス、関口さん、デリック。

そんなふうに、現場には見学者がたくさん来てくれた。

資金集めのときに声をかけた有名無名の資産家達も来れくれたらしかった。(お金をくれた人もくれなかった人も)

グループでスケッチしていく人達もいた。写真家も何人か来たらしかった。

特に新聞に載ってからは、とにかくたくさんの人が来た。フェンスに囲まれたところで作業をしていて、ふっと一息ついて周りを見回すと、たくさんの人が見学していて、なんとなく金魚鉢の中の金魚になった気がしてきた。

見学しにきた女性の中には、

「あの肉体美の彼、どこ?」

と聞きに来る人も何人かいた。(冗談で、多分)

それで、そのうち石工たちがジョナサンの新しいあだ名をつけた。

「哲学者石工(philosopher mason)と「testicles(テスティクルズ、睾丸)」をくっつけて、「testecles(テステクレス)」

ソフォクレスみたいに古代ギリシャ的な響き、即興にしては、なかなか。

ジョナサンはこんな少し(すごく?)茶化した呼び方も別に気にしているようでもなかった。もう一つのジョナサンの呼び方は「Sardine-man(イワシ男)」であった。

それは、ジョナサンは昼食の変わりに、イワシの缶詰を数個平らげるだけだったからである。何かのダイエット法で、昔からそれで調子がいいから、それ以外食べないのである。夕食は信じられないくらいたくさん食べるのだが、昼食はイワシの缶詰のみ。それも、毎日、毎日。静かで真面目なのだが何かと話題になるやつだった。

このワークショップは幸いなことに怪我人が一人も出なかった。

唯一あったのは、ジョナサンがデニーズに(珍しくも)朝食を食べに行って帰ってきたときに、目に何か入ったことだった。

かわいそうに、かなり痛いらしく、涙を流して鼻水までたらしていた。昼食まで我慢したのだが「だれかー、目に水流してくれない?」と。そこにあった大きな道具箱に横たわった。

「おっしゃ。まかしとき」

ケビンは立ち上がると、手馴れた動作でサッとナイフを取り出した。目玉と鋭いナイフはどう考えても素人がどうこうしていいコンビネーションとは思えなかったので、「おい、ケビン、大丈夫か?」聞いてみた。ケビンはニヤッと笑うとナイフを手にしたままスタスタとジョナサンの方に歩いていった。はらはらしながら見ていると、ジョナサンの横まで来たケビンは、サッと自分のポケットから水の入ったペットボトルを出すとブスッと蓋を刺した。ケビンはサッとナイフをしまうとペットボトルをギューッと握った。水が勢いよくボトルの先から出た。ケビンはおかしそうに笑いながら「俺がジョナサンの目刺すと思ったか?ダハハハハハ」

こいつ、僕が心配していることを知っていて、ギリギリまで黙っていたな。

ジョナサンはフィリップに連れられて病院に行った。すぐ帰ってきて、「タバスコの蓋の破片みたいなのが入っていた。デニーズのタバスコを見た時に、これは危ない、と思ったんだよ。はははは」と、上機嫌でわけのわからないことを言うと、すぐまた石を叩きに行ってしまった。

一度何かの用事で窪田ガーデンを離れて戻ってきたとき、現場から鑿の音が聞こえた。

なんとも平和で、風鈴を髣髴させるような、涼しいいい音だった。しばらくそこに佇んで聞いた。

数日後にラジオでまたこの音を聴いた。窪田ガーデンのスタッフの女性がこの音が好きで、実は録音して公共ラジオ局 KUOW の「今日の音」セクションに送ったのだった。

ラジオで聴いた音もキリリン、キン、カキン、キン、キン、となんとも平和なのである。

実際は炎天下で大汗かきながら、「コン畜生、この、死ネ、ウラ、エイッ」と心の中で思いながら叩いているのだが・・・。

音と言えば、ワークショップの途中で雨が降りそうになったことがあった。これでもし遠雷でもあったら、無条件で三十分作業を止めなければならない決まりになっていた。そして、休んでいる最中にまた遠雷が聞こえたらその時点からまた三十分待たなければならなかった。他の皆は曇っているから暑くなくていい、とか気楽にしていたが、僕だけいつゴロゴロゴロと来るかびくびくしていた。ありがたいことに、遠雷は一度も聞こえなかった。

筆者プロフィール:児嶋 健太郎
彫刻家。グアテマラで生まれ育ち、米国で大学を卒業した後、ニューヨークの彫刻関連のサプライ会社に就職。2005年、シアトルのマレナコス社に転職し、石を扱うさまざまな仕事を手がけている。2006年のインタビューはこちら

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