シアトル郊外のボセル市にある、日本食レストラン『Nakagawa(中川)』。高校時代からいろいろな形態のレストランで経験を積み、2022年にこのお店を前オーナーから直接購入する形で経営者となった、伊勢純一郎さんにお話を伺いました。
生活のために習い始めた料理がキャリアに
僕はロサンゼルスで生まれて、5歳の時に日本に引っ越し、岐阜県の田舎で育ちました。最初は日本の大学に行こうと考えていたのですが、アメリカ国籍を持っていますから、高校の時に「アメリカに行けるなら、行きなよ」という状況になっていったのです。そして、アメリカに行くと決めた時に、「寿司を覚えたら、すぐに仕事が見つかるぞ」「一通り、日本で覚えておけよ」と、誰かに言われたんですよ。それで、田舎の寿司屋に入って教わり始め、「料理って、楽しいな」と思い始めたのです。
最初は寮がある大学がいいということで、最初はワシントン州のマウント・バーノンにあるスカジット・バレー・カレッジに入学しましたが、田舎すぎて寿司屋がなく、働くことができませんでした。いったん岐阜県に帰って同じ寿司屋で働き、今度は生まれ故郷のロサンゼルスに行ってみたのですが、自然の豊かな岐阜県の田舎で育っている僕には、ロサンゼルスの自然環境は厳しくて。
やっぱり僕にはワシントン州があっていると気づいて、シアトルの隣のベルビュー市にあるベルビュー・カレッジに入り直し、そこで初めてしっかり住み始めたという感じです。学校に行きながら、アイラブ寿司のベルビュー店(今はなき1号店)に採用してもらっていろいろ教えてもらううち、この仕事が本当に好きになり、カレッジを中退して仕事に集中することに決めました。
さまざまなレストランを体験したことが、今につながる
それから8年ほどたった頃、アイアン・シェフの森本正治さんの友人から、「森本さんがナパで店をオープンするから、立ち上げスタッフとして働かないか」というお誘いをいただきました。そして、ナパに日帰りで行き、実技の面接を受け、採用が決まりました。
モリモト・ナパの立ち上げスタッフとして働いたのは一年だけですが、寿司の二番手をやらせてもらい、いろいろ考えながらメニュー作りにも参加するなど、貴重な経験をさせてもらいました。寿司バーがあり、キッチンがあるのは、僕がそれまで働いてきた日本人が経営する、いわゆる日本食レストランと共通していますが、モリモト・ナパは、寿司は寿司、キッチンはキッチンというように完全に分かれて動いています。寿司は日本人が中心でしたが、キッチンは有名料理学校を卒業して有名店で働いてきた、いろいろな人種や年齢の人が働いていて、映画で見るような “Yes, chef!” の世界でした。
でも、キッチンの人たちはアメリカのレストラン出身なので、寿司を知らない。僕らのような寿司職人は寿司ばかりやっているので、肉の焼き方を知らない。最初は寿司とキッチンでは交流がなかったのですが、例えばサバのおろし方を教えてあげる代わりに、ステーキの焼き方を教えてもらうというような感じで、お互いに勉強するようになり、打ち解けていきました。
森本さんはとても厳しかったですが、あんなお店のオープニングをやる機会もなかなかないですし、今から考えても本当にいい経験でした。当時27歳だった僕は日本人の若手では最年少だったのですが、「いい仕事をしろ」と、すごく言われました。それはつまり、「早くて、きれいな仕事をしろ」ということなのですが、それを今も心掛けています。
さまざまな店で経験を積み、2022年に独立
その後、サンフランシスコに住もうかと考えて、仕事も決まりかけていたのですが、あの辺りは本当に家賃が高いですよね。それに、妻が二人目の子どもを妊娠していたので、知り合いの多いシアトルに戻ることに決めました。それに、ナパもベイエリアもとてもいいところですが、キノコ狩りや内海での釣りが趣味の僕にとっては、シアトルは本当にあっています。四季がありますし、食材で言えば、ミル貝やアサリなどの貝類もおいしい。秋ならマツタケなどのキノコ、サーモン、イクラも外せません。ここはおいしいものが本当にたくさんありますね。
そしてまたアイラブ寿司に雇っていただいて一年ぐらいが過ぎた頃、モリモト・ナパのエグゼクティブ・シェフだった方から、マディソン・ホールディングスが当時経営していた『Blue C Sushi』のVP兼シェフをやるから、「おまえも来ないか」と誘われたのです。最初は「回転寿司はやりたくない」と思ったのですが、いろいろ話しているうちに「アメリカでレストラン事業を展開する企業で働くのも面白そうだ」と思うようになり、入社しました。
そこで約4年働いた間に学んだことはたくさんあります。特に、シアトルに6店舗、カリフォルニアに3店舗と広げていく中で、仕入れやコスト管理も教えてもらって任されるようになり、人の採用やトレーニングも担当したことは、すべて今につながっています。
その後にベルビューの『Flo』へ。ベルビューのダウンタウンという立地的に出張で来られる日本人以外の方が多かったので、食べやすい和食の方が良いだろうと、創作料理をいろいろやっていました。『425 Magazine』の最優秀シェフ賞をいたたいだのも、その頃です。そして、シアトルの懐石レストラン『Wa’z』を経て、2022年にこのボセル市のレストラン『Nakagawa』を購入し、ついに自分の店を持つことができました。
気軽に寿司を食べられる店を続ける
このお店は、前オーナーの中川さんが5年かけて定着させた店です。せっかく定着したものを新しくする意味はないのではないかと思い、中川の定番メニューを続けながら、旬のローカル食材を使ったメニューも出しています。そんなわけで、店の名前も変えるつもりはありません。友人には「看板を新しくするのはお金がかかるから、店の名前も変えない」と言っているのですが(笑)。
そして、まずはこの店を、この地域で愛される店にしたい。かしこまった高級店ではなく、幼い子どもさんも一緒に気軽に来られて、手ごろな価格で寿司を食べられる店という位置づけです。なので、おまかせの10ピースの握りが人気なのが嬉しいです。
器などがすべて揃ったら、今は休みにしている曜日を一日だけ開店して、週に一度のコースメニューだけの日もやってみたらどうだろうと考えていますが、まだわかりません。ここでやるのか、二軒目でやるのか。最近シアトルでもおまかせ専門店やトンカツ専門店など、専門店が増えて楽しくなってきましたから、僕が二軒目をやるなら、くずし割烹のようなものをやりたいと思っています。こじんまりとして、カウンターがある店で、にぎやかに、カジュアルに。僕は楽しいこと以外できないんですよ。今もそうです。楽しくやっているので、気軽に食べに来ていただけたら嬉しいです。
聞き手:オオノタクミ
取材・撮影は8月に行いました。寿司のネタはその日・季節によって異なります。