2021年12月にキャピトル・ヒルに開店した『Ltd Edition』。天然の魚介類を使ったおまかせの寿司が比較的手ごろな値段で味わえるとあって、1カ月前に予約が一杯になってしまう人気ぶりです。DJから寿司店の経営者・職人となった塚崎啓司さんと、テニス留学を経て料理の道に入った寿司職人の小林純さんに、お話を伺いました。
始まりは、DJとテニス留学
啓司:福井県生まれで、大阪に引っ越してDJになりました。世界中のイベントに出ていたんですが、1999年に大阪でのイベントで偶然出会ったアメリカ人がオレゴン州ポートランドでの仕事に呼んでくれて、初めてアメリカのパシフィック・ノースウエストに来ました。
僕は音楽が好きで、パーティーも好き。若い時はそれでDJとしてやっていけていましたが、すごいDJに出会った時に「自分には人間としての人生経験が足りない」と思ったんですよね。
そこで、そのうちまたDJをやりたくなったらやればいいんだと考えて、いろいろな職業をやってみました。その結果、「やっぱり、寿司にしよう。寿司のレストランを自分でやりたい」と。寿司をその場で考えて作る、それがDJと似ていて、楽しいんですよね。
あちこちの店を見て、働かせてもらいたいと思ったのは、太一さんの店(編集部注:シアトルの『田むら』経営者の北村太一さん)でした。太一さんの店はきれいですし、日本から来た太一さんから学べて、住んでいるキャピトル・ヒルからも近かった。簡単に言うと、そのような経緯で太一さんに「働かせてください」とお願いして働かせてもらいました。そこから同じシアトルの 『Shiro’s』 と 『Sushi Kashiba』 を経て、2021年12月に 『Ltd Sushi』 を開店しました。
純:僕も啓司さんも、最初からこの職業を目指してやってきたというわけではないんですよね(笑)。僕は静岡県伊豆出身で、テニス留学でワシントン州オリンピアに来ました。でも、一年半後、自分はテニスに向いていない、インストラクターとして子どもたちの将来を背負うのも僕の将来の仕事とは違うと思ったんです。
「じゃあ、どうやって食っていけばいいんだ」ということになって、一番身近だったのが料理だったんですよね。生まれ育った伊豆は季節の魚がいつもありましたし、僕自身も魚が好きで。そして、シアトルのレストランで働かないかと声をかけられて、『Maneki』 で13年、その後に 『Shiro’s』 で約7年。やっていくと嫌いじゃないんで、追求してしまう。これは面白いなという感覚で続けていたら、あれよあれよというまに25年。シアトルの移り変わりを見てきました。
啓司:今まで働いたところで基本から教えていただいて、いざ経営者になってみると、太一さんから学んだことは多きかったなと思わされます。最初に入ったところで受ける影響は大きいのでしょうが、当時はよく理解できなかったことでも、やっぱり心に残っていることがあります。また、加柴司郎さん(編集部注:1960年代からシアトルで活躍する寿司職人で、現在は 『Sushi Kashiba』 オーナーシェフ)からも、いろいろなことを学ばせてもらいました。
シェフも経営者も「絶対においしいと思わせてやる」と思っています。そこはDJと同じ。僕も「意地でも踊らせてやる!」「なんとしてでも!」とがんばっていましたから(笑)。でも、全員を満足させようとして、いろんな人に対応できるメニューを作っていたら、自分の力量では訳が分からない店になってしまう。「この人は満足させなくていい」と、あきらめるわけではないからこそ、うちはメニューが一つなんです。いろいろなお寿司屋さんがある中で、うちを選んできてくれているお客さんは何でもあるファミリー・レストランに来ているわけではない。来てくれるお客さんに満足していただくことに集中してます。
みんなが幸せになる働き方を
啓司:純さんに出会ったのは、僕が働いた二軒目の店『Shiro’s』でした。日本から寿司職人さんがたくさん来ていて、寿司に対する考え方もいろいろあるんだと知りました。純さんとは同い年で、寿司カウンターで並んで働いていたので、お互いに追求するタイプだなと思っていました。
そして、自分が寿司職人の道を志し、2カ月後に子どもが生まれました。その時に職人と子育ての二つの大変さを乗り越えられたら、この仕事を続けられるだろうなと思いましたね。でも、経営者としても寿司職人としても、人間的な生活を確保しないと、お客さんを心からもてなすことなんてできないなと。それで、週2日は休業することにしました。毎日開ければもっと収入は増えますが、「休めなくても仕方ない」というのは古いなと。給料はサラリーで、これだけ休むとあらかじめ決めて、ビジネスプランを作りました。
純:2020年3月にパンデミック宣言があって、親や地元の友人と話して、日本に永久帰国してもいいかなと話したんですよ。でも、啓司さんと、結婚、出産、子育て、店の開業等、いろいろ話していたら、僕と考え方が一緒だった。やっぱり、従業員も、家族も、お客さんも、みんながハッピーになれる店がいい。当時、店で一緒に働いていたメキシカンの人たちも子どもがいて、「金を稼げ!」というより、「お金はある程度で、家族との時間が欲しい」と考えでした。そこで、半分冗談、半分本気で、「啓司さんの店で働けませんか。一生懸命に働きますよ」と(笑)。啓司さんとはもともと一緒に働いていたので、「それは知ってるよ」って。それで決まりました。
啓司:毎日営業と週5日営業では、そりゃ店の収入はガッツリ変わりますよ。でも、そうやって毎日営業しても幸せにはならないよね、と。子どもとの時間も欲しい。やっぱり、パンデミックの影響も大きいです。
自分の経営スタイルを作る
啓司:経験上、店は一人でもできないことはない、でも、限界があります。やっぱりみんなでやるのがいい。だから、時給でと言わず、月給を決めています。うまく行ったらお金を渡すとか、がんばったらお金を渡すというのではなく、日月ちゃんと休みで、給料も保証することが、働き方として大事だと思いますし、家族も嬉しいでしょう。子どもが小さい時は、特に大変ですから。
この働き方は、魚の仕入れにも関係してきます。僕らはお魚の値段は知っているので、従業員の給与や休みを考え、魚をおいしく出すために、お客さんの人数を一日32人までと決めて、その人数分だけ仕込みをします。今のシアトルの平均的な収入状況や世代を考えて、外国籍の人、お寿司に興味がある人、着る物や使う物にこだわりたい人、「なんとなくこうだろう、これでいいや」ではなく「これがいい」、そういうお客さんが来てくれるのではないかと考えました。そうは言っても、最初は「ちゃんと来てくれるかな」と、びびってましたよ(笑)。でも今、毎月予約がひと月前に完売してお客さんの人数が決まるので、仕入れる食材の量も質も徹底して管理できています。
自分のやりたいこと、やるべきことをやっているので、値段やメニューについて周りは見ていません。「他がやってないから、やろう」では、どこかで見たことがあるようなことをやっているようなものじゃないですか。おもしろくもないし、限界があります。こだわりたいところは、魚はすべて天然であること。これは差別化から来ているわけではなくて、おいしいものを作りたいという気持ちからです。
純:養殖技術も改善され続けていますし、みんなが安価に食べられるので、養殖を全否定はしていません。でも、僕自身、伊豆で季節の魚を食べて育ったので、やっぱり季節のものじゃないと食べないんですよね。こちらに住んでいるお客さんは、アジやハマチは一年中食べないということを知らない。啓司さんと相談して、やっぱり魚本来の味がある天然ものを出したい、本当の魚の味を日本に行かずともシアトルでも食べられるようにしたいと思いました。
啓司:僕らは日本で寿司をやっていたわけではないので、シアトルで学ばせていただいたうえで、それぞれ考えがあって、もっと学ぼうという気持ちがあります。で、僕の場合、経営者となって、自分たちのことを考えた時に、もう一つ何かがあるよなと。何か一つ、芯が欲しい。それは何だろうと二人で話していて、100%答えがないところがありました。経営者だから答えがあるわけではないし、僕が経営者になったとたんに答えが出てくるわけでもありません。
それで、僕らの先生のような方を見つけるのが大事だということになって、ニューヨークで『中司』(なかじ)を経営する中嶋邦英(なかじま・くにひで)さんを紹介していただいて、先日、二人で会いに行ったんです。年が上の方は経験がありますし、特に祖父の代から東京で寿司をやり、三代目ともなると、背負ってるものとか、経験値が違いますね。
純:日本の魚屋さんがつなげてくれて。その前から連絡を取っていたのですが、中嶋さんはレシピまで教えてくれたりするんです。普通、シェフからレシピなんてなかなか教えてもらえない。そんなことを啓司さんに話したら、これも何かのご縁だから、ぜひ行こうと。
啓司:ニューヨークに行くために、店を閉めました(笑)。ご縁があるなら、そういう人に学ぼうと。勢いと情熱が大事です。そういうところでごちゃごちゃ言い訳して行かないのはダメですね。
純:中嶋さんは25~26年もアメリカにいるのに、根っからの江戸っ子で、すごくあったかみのある方で。僕らの師匠を見つけた、と思いました。
啓司:僕も、中嶋さんの美意識やお寿司やお魚に対する考え方に、「この人だ」と。伝統を知っていて、しかもニューヨークという海外の第一線でやっていて、寿司を作るだけでなく、経営もされているわけです。雇われだったら好きなことが言えますが、あそこであれだけこだわるところはこだわるって、なかなかできないと思うんですよ。そして、本当に人付き合いの良い方で、気持ちがあたたかいから、ご縁を生む。特に、お客さんの前でする仕事というのは気持ちです。小さい店だからこそ、雰囲気が伝わりますよね。
純:今回、啓司さんだけが行くとか、僕だけが行くとかではなくて、二人で一緒に行って同じ経験して、ホテルや飛行機で方向性とか話をして、同じ経験をしていたからこそブレなくなると思いましたね。
シアトルでおすすめしたい食材
啓司:シアトルでおすすめしたい食材は、ダンジネス・クラブです。違う蟹にしようかなと思っても、やっぱりこれですね。
純:ダンジネス・クラブは、一番おいしいですよね。甘みもあって。
啓司:あと、spot prawn(ボタンエビ)も。
純:spot prawn は、9月ぐらいまで行けますよね。あとはスメルト、グイダックもありますが、やっぱり僕の中ではダンジネス・クラブが一番かな。
啓司:あとはマツタケもおいしいですよね。純さんは釣りもするし、マツタケも自分で採りに行ってます。
純:僕がマツタケを採りに行くところは、僕が採るか鹿が食べるかぐらいという、本当に知ってる人がいないところ(笑)。山菜もまだ採れますね。うちの店でこれから食べるならイサキ、アジですね。旬のものを使うので、7~8割は日本から仕入れています。これからだと、桜鯛を入れたいですね。甘みが違います。
シアトルを盛り上げることに貢献したい
啓司:これからのことは、いろいろありますが、まずこの『Ltd Sushi』というお店の形を作り上げること。そして、テーブル席での特別メニューを作って、お客さんに「テーブル席の方がいい」と言わせたい。僕自身、勉強ならカウンター席ですが、個人的にはテーブル席が好みです。そして、お魚、お寿司の追求はずっとしていきます。やっぱり「おもてなし」ですよ。「おもてなし」とは、「裏表なし(うらおもてなし)」の「おもてなし」。裏のない、excuse(言い訳)のない気持ち。僕もお客さんにちゃんと対応したい、満足させたい気持ちを常に持っていきたい。
純:シアトルはもう第二の故郷になっているので、これからシアトルの日本食にもっと貢献していきたいですね。
啓司:シアトルのことが好きなんですよ。特に、このキャピトル・ヒルが。店を出すのに、結構いろいろ探しました。でも、知らない地域に行っていいなと思って、いいスペースがあっても、愛がわかなかったんです。キャピトル・ヒルは、特にライトレールが来てから変化が激しくて、昔の雰囲気がなくなっていますが、やっぱり、僕の場合は愛を感じるキャピトル・ヒルでこそ食べ物に気持ちをこめられると思って、このスペースを借りました。
パンデミックの後だから、余計にそう思うんですよね。物件を見つけた当時は2020年で、すぐそばに抗議活動の拠点『CHOP』ができて、混沌とした状態になっていた時でした。でも、「キャピトル・ヒルを、ここからカムバックしてやる」という気持ちで借りたんです。シアトルをがんばって盛り上げていきたい、それに僕らも貢献できたら、と思っています。
聞き手:オオノタクミ