留学するまでのキャリア
幼少期はサッカー一筋。下手ながらもプロ選手を目指していました。ボールと一緒に布団に入り、寝る間も惜しんでボールを蹴っているような、漫画に出てくるようなサッカー小僧でしたね(笑)。大学でも体育会のサッカー部に所属していたのですが、プロになる実力がなく、夢を諦めました。部活最優先で就職活動にも力を割く気がなかった中、ことごとく面接に落ち、就職浪人も真剣に考えていたところ、志望していた広告代理店から内定をいただき、就職しました。
就職先ではテレビ部という部署で、主にテレビ CM やテレビ局が主催するイベントのセールスに従事しておりました。毎日担当するテレビ局に通い、ミーティングをし、どのテレビ番組内の CM 枠をどのスポンサーにセールスするのが適切か話し合ったり、視聴率の変化を研究して番組の編成を検討するなど、スポンサーのテレビ CM を効率よく流すためにはどうしたらいいのか考える日々を送っていました。
「周りからのネガティブな声をバネに、応援の言葉を感謝に」
入社後3年と3ヶ月目で退社したのですが、広告代理店でのテレビの仕事は最後の一日まで本当に楽しく刺激的で、とても名残惜しく感じました。もう一度就職活動をしても必ず同じ会社に入りたいくらいです。でも、テレビの仕事をしている中で、さまざまなスポーツの世界大会やその他のスポーツコンテンツに触れる機会が非常に多く、もう一度スポーツの世界に戻りたい、僕がなれなかったスポーツ選手になった人たちを今度は支える立場になりたいという思いがふつふつと沸き、スポーツメーカーへの転職を考え始めました。
ところが、転職活動をしていた際、志望していたスポーツメーカーの人事の方から英語の必要性を強く説かれ、同時に短期留学も勧められたのです。僕はあまり深く考えないタイプで、少しでも今より楽しそうだなと感じたり、自分がワクワクする方向へ労力を割かずに動いてしまうところがあるのですが、そんなわけですぐに留学の準備を始めました。当時はテレビの仕事よりも、ほんの少しスポーツの方が楽しそうだな、くらいの感覚でした。でもそのくらいの感覚で仕事を辞め、留学する決意をしました(笑)。
そのような性格なので、個人的にこの決断について思い悩み過ぎることはなかったです。もちろん、前職を辞めるのはとても寂しかったですが。周りからはいろいろなことを言われましたが、ネガティブな言葉もポジティブな言葉も同じくらいの量ですし、何か大きな決断や人とは違うことをする時、周りから何か言われるのは想定内で、当たり前のことだと思います。その程度で気持ちが揺らぐぐらいだったら決断を止めてもいいのかなと。僕の短所でも長所でもあるのですが、非常に楽観的でポジティブな人間なので(笑)、周りからのネガティブな声をバネに、応援の言葉を感謝に、すべててを前向きの力に変えていました。
コーヒーの街シアトルで、一気にカフェやコーヒの虜に
実は、もともと老後地元の湘南でカフェを開くのが学生時代からの夢だったので、「引き出しが多く、楽しくてコミュニケーション能力が高く、人が集まってきそうな魅力的なオーナーになるために、いろいろな経験をしてからカフェを開こう」。そう思っていました。
湘南が大好きで、街を優しくするツールとしてのカフェで、あくまでその一部としてのコーヒーという認識なので、大学時代もカフェでバイトすらしたことがなく、コーヒーのことも何も知りませんでした。渡米後、ベルビュー・カレッジに通い始めたのですが、思った以上に隙間時間があり、「せっかくカフェの街シアトルに来たのだから、カフェ巡りでもして独学でコーヒーのことを学んでみようかな」と授業の隙間時間にカフェ巡りを始めたのです。今思うと、そのカフェ巡りが僕の人生を少し狂わせたというか、夢を実現する方向へ向かうのを早めてくれました(笑)。老後に描いていた夢が一気に僕にプレッシャーをかけてきたというか、手前にやってきたのです。「お、お前(カフェ開店の夢)、まじか、こんなに迫ってきちゃうか、おいおい、想定外だよ!」みたいな感じでしたね(笑)。
一気にカフェやコーヒの虜になってしまい、僕の困った性格上、スポーツのことよりも少しだけそっちの方が楽しそうだったので、すべての時間をそっちに割く留学に変わってしまいました。
目的が変わった瞬間、ジャングルシティに 『シアトル留学生カフェ探訪』 などの企画も持ち込みました。突然過ぎる連絡に速攻で対応してくださり、連絡の2日後くらいにはジャングルシティのタクミさんとお会いし、企画が実現したのは本当に嬉しく、感謝しております(笑)。
カフェやコーヒーに虜になった理由は、カフェを学生時代から開きたかった理由でもあるのですが、機械化や AI が騒がれている中で、人間味が一番感じられ、人間の本質が一番体現される空間がカフェだという考えが確信に変わったと同時に、日本や地元の人に見られがちになってきた物質的な豊かさに反比例した心の貧しさを、カフェとコーヒーの力で少しでも上向きに持っていけられたらなと思ったからです。IT 系の企業が多く集まる中でカフェも多く存在するシアトルだから、余計にそう強く思ったのかもしれないですね。
日本での10年分くらいのことをこの地で学べたような気がする
インターンシップも、もちろん最初はスポーツチームやスポーツの会社で考えていたのですが、留学後3ヶ月あたりに夢からの巨大なプレッシャーに負けたので、カフェでのインターンシップに決めました。
渡米後1年で学生ビザが切れ、インターンとして働いていた Bellden Cafe のオーナーからも弁護士をつけてでも新しいビザをあなたにとってほしいと身にあまる言葉をいただき準備を進めていたのですが、スケジュール的な部分とビザの規則上、このカフェでビザをとるのが困難な状況でした。ビザの取得がなかなかうまく進んでいかなかった中、Bellden Cafe の次に働きたいとオファーを出した Lighthouse Roasters でJ1ビザが取れ、当初予定していなかった2年目の生活がスタートしました。
Lighthouse Roasters ではバリスタだけでなく、焙煎やホールセール、イベント企画などやりたいことをすべて叶えさせてくれました。中でもシアトル在住のアーティスト・太田翔伍さんとカフェで企画したイベントは非常に思入れ深いです。2年間シアトルでゼロからコーヒーのことを学んだのですが、実感としては日本での10年分くらいのことをこの地で学べたような気がしてます。
それは、アメリカ特有の、大きなチャレンジが許される環境、飛び込んで行きやすい環境のせいだと思います。ここでは一度も僕のこれまでの決断や夢を笑われることや否定されることはありませんでした。一緒にずっと働いていてお父さんのような存在だったヘッドロースターのエリックに毎日のように将来の夢を一方的に語っていたら、彼が笑いながら「Masa、それは流石にファンタジー過ぎる」と言った時は、少し反省しましたが(笑)。
ロサンゼルスで発見したカフェの日本支社に就職、同時に自分のブランドも立ち上げ
『SAZANAMI COFFEE』が本格始動する日も近い!?
シアトルにいた時に旅行でロサンゼルスに行き、そこで入った Verve Coffee Roasters というお店が衝撃的でした。いつもはカフェに入ると内装からバーの高さ、照明の当たり方からスタッフの質など3時間くらい店にいて細かく分析するのですが、そのお店に入った瞬間に直感的に「ここで絶対に働きたい」そう思いました。
その場で調べてみると、サンタクルーズに本店があり、西海岸に10店舗、そしてなんと日本に3店舗あるカフェカンパニーだったのです。すぐに Verve Coffee Roasters Japan に連絡をとり、帰国は1年後だったのですが、彼らと頻繁にメールでやりとりを続け、帰国後すぐに働き始めました。また、並行して自分のコーヒーブランドも立ち上げるべく、シアトルにいる時からロゴのデザインやブランドの方向性を整えたり、各所に連絡をとって、帰国と同じタイミングでスタートできるようにしていました。
前述のとおり、地元に自分のカフェを開く夢を実現するまでにたくさんのことを学んで挑戦し、学びたいこと、挑戦してみたいことがたくさんあります。なので、自分のブランドを立ち上げましたが、お店は構えず本業の隙間の時間で出張バリスタという形でコーヒーを淹れていく活動を始めました。名前は SAZANAMI COFFEE といい、地元の藤沢市を中心に出張という形でイベントや個人宅、オフィスなど、コーヒーが求められたら全国どこにでもコーヒーを届けにいきます。僕一人ではなく、地元の児童養護施設の子ども達と一緒にコーヒーを淹れにいったり、地元のアスリートを巻き込んだり、藤沢市をコーヒーでよくするために少しづつ温かい輪を作っていこうと、いろいろと企んでいます。
シアトルでの出会いがなかったら、今の僕も、夢中で追っている夢もない
4〜5年後、出張という形で始めた SAZANAMI COFFEE を実店舗という形で藤沢市にオープンし、街を温かく、優しく包み込むことができたら素敵だなあ、そう思っております。僕のことなので、もしかしたらいろいろ予定が変わっているかもしれないのですが(笑)、その時にやっていることが一番やりたいことであるのならそれで良い。そう思っています。
最後に。シアトルでの出会いがなかったら、今の僕も、夢中で追っている夢もありません。帰国してふと懐かしむようにシアトルでの日々を振り返る時、たまに身震いする時があります。シアトルでの生活がなかったら、皆さんとの出会いがなかったら、間違いなく今の僕はいないからです。会社を辞めなかったら、アメリカに行かなかったら、それはそれでそれなりの今があったと思いますが、今の僕と夢が自分自身本当に大好きなので(笑)、シアトルで応援してくださった皆様に本当に感謝しています。近い将来、必ず SAZANAMI COFFEE という名前をシアトルまで届けるので、楽しみにしていてください。またお会いする日まで!
社会人留学生:沢田真洋さん(さわだ・まさひろ)
1991年、神奈川県藤沢市生まれ。大学卒業まで三度の飯よりサッカーな生活を送り、卒業後一般企業に就職。3年と少し勤めた後、退社を決意し、2017年にベルビュー・カレッジに留学。2019年に帰国し、『SAZANAMI COFFEE』を起業。
【公式インスタグラム】@sazanamicoffee