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アストリア:ロッキー山脈以西で最も古い新開拓地

アストリアは、コロンビア・リバーが太平洋に流れ込む地点の南岸にある小さな街。ロッキー山脈以西では最も長い歴史を誇る開拓地です。

コロンビア・リバーが太平洋に流れ込む地点の南岸にある小さな街、アストリア。ニューヨークの不動産王として財産を築いたジョン・ジェイコブ・アスター氏(1763-1848)の送ったアスター探検隊が1811年にパシフィック毛皮会社の交易所フォート・アストリアをこの地に建設し、白人による入植が始まりました。町の名前はこのアスター氏にちなんでいます。

かつてはオレゴン・テリトリーの内陸への玄関口として栄えましたが、現在は観光・手工業・芸術関連産業が主、大型クルーズ船の停泊地としても人気が高まっています。急な丘の斜面には19世紀から20世紀初頭にかけて建設され史跡に指定されているビクトリア様式の邸宅が並び、小さなダウンタウンには1920年代のアメリカがそのまま残されています。

日本で最初に英語を教えたとされるラナルド・マクドナルド氏(1824-1894)は、スコットランド系移民の父親とチヌーク・インディアンのコムコムリー酋長の娘レイブンの息子としてフォート・アストリアで生まれました。幼少の頃に日本人の漂流民(そのうちの一人は現在の愛知県知美浜町出身の音吉)に出会い、チヌーク族の親戚から祖先はアジアから来たと聞かされたこともあって、日本にあこがれるようになったと記録されています。

カナダで教育を受け、銀行出納係となったものの、日本へのあこがれを捨てきれず、1845年に捕鯨船プリマス号の船員となって鎖国を強いていた日本に向かい、1848年に北海道沖で小船に乗り移り、密入国に成功。アイヌに捕らえられ、松前藩の大名に引き渡されて長崎に移送された後、アメリカやイギリスの船舶が沿海を航行するようになっていたこともあって、14人の侍に英語を教える仕事に就きました。その中には後に開国についてペリー提督との交渉で重要な役割を果たした森山栄之助(1820-1872)もいたそうです。

マクドナルド氏は10ヵ月後にはアメリカの戦艦に乗せられ帰国し、米国議会に日本を高く評価した報告書を提出しました。船員として働いた後、カナダで起業し、バンクーバー島の探検にも参加。晩年は貧しい生活を送り、ワシントン州で亡くなりました。遺体はワシントン州フェリー郡のラナルド・マクドナルド墓地に眠っています。アストリアの生誕地には石碑があり、長崎と利尻に記念碑があります。

観光案内所

Astoria Warrenton Chamber of Commerce
アストリア・ウォレントン商工会議所

www.oldoregon.com

観光スポット

ASTRIA
COLUMN
アストリア・コラム

www.astoriacolumn.org
米国東部からアストリアに移住してきた人を記念し、オレゴン州で最も高い丘コックスコウム・ヒル( Coxcomb Hill )の上にジョン・ジェイコブ・アスターの家族が1926 年に建てた塔。ローマのトロージャン・コラムをモデルにしており、高さは125フィート( 37.5 メートル)。表面には開拓の様子が描かれています。164段の螺旋階段を上って展望台からアストリアの町とコロンビア・リバー、そして太平洋を眺めてみましょう。

ASTORIA-MEGLER BRIDGE
アストリア・メグラー・ブリッジ

www.oldoregon.com/visitor-info/entry/astoria-megler-bridge/
コロンビア・リバーが太平洋に流れ込む河口にあるアストリアとワシントン州ポイント・エリスを結ぶため 1966年8月27日に完成した長さ4.1マイル(約 6.6 キロ)の橋。国道 101 号線の一部。通行料は無料。1921 年からこの橋の完成まではフェリーがアストリアとワシントン州メグラー間を運航していました。

COLUMBIA RIVER MARITIME MUSEUM
コロンビア川海事博物館

www.crmm.org
川と海に挟まれた地理的条件によって発展したアストリアの歴史を学べる博物館。コロンビア川を実際に航行していた漁船や沿岸警備艇などが展示してあります。かつては大量に水揚げされていたサケの缶詰工場の様子なども見ることもできます。

FLAVEL HOUSE MUSEUM
フラーベル・ハウス・ミュージアム

www.cumtux.org
アストリアで最初のミリオネアとなったジョージ・フラーベル船長(1823-1893)が7年にわたり妻のマリー・クリスティーナ・ボーリングと2人の娘と住んだ3階建てのフラーベル邸。産業革命真っ只中の1880年代から1890年代に人気となったビクトリア様式の中でも最も手が込んでいると言われるクィーン・アン・スタイルのデザイン。ドイツ生まれの建築家カルル・レイク氏が手がけ、1886年に完成させました。19世紀後半の生活を彷彿とさせる家具で装飾されたインテリアもチェックしてみましょう。フラーベル家は1934年までこの家を所有していましたが、ひ孫のパトリシアさんがアストリア市にこれを寄付し、戦争中は公衆衛生局や赤十字などがオフィスとして使用されました。二度にわたる解体の危機に見舞われましたが、市民の寄付によって保存が決定しました。

FORT ASTORIA
フォート・アストリア

ニューヨークの不動産王として財産を築いたジョン・ジェイコブ・アスター(1763-1848)が1811年4月12日に建築工事を開始したパシフィック毛皮会社の交易所フォート・アストリア。1812年の戦争中にはフォート・ジョージとして使われましたが、ハドソン・ベイ会社が本拠地をフォート・バンクーバーに移した1825年に使用されなくなり、そのまま放置されていました。現在は砦の一部が復元され、"SITE OF ORIGINAL SETTLEMENT OF ASTORIA" と刻まれた石碑があり、1962年に米国に史跡に登録されました。また、日本で初めて英語を教えたとされるラナルド・マクドナルド氏の生誕地であることを記した記念碑も建てられています。

UPPERTOWN FIRE FIGHTERS MUSEUM
アッパータウン・ファイヤー・ファイターズ・ミュージアム

1877 年から 1963 年まで使われていたさまざまな消防器具、アストリアで起きた大火災の写真などの展示を見ることができます。2 階はチルドレンズ・ミュージアムになっており、インタラクティブな展示が楽しめます。

LEWIS & CLARK NATIONAL HISTORICAL PARK
ルイス&クラーク国立歴史公園

www.nps.gov/lewi/

ワシントン州のロング・ビーチからオレゴン州のキャノン・ビーチまで 40 キロにわたって 12 のサイトが連なる公園。

FORT CLATSOP NATIONAL MEMORIAL
フォート・ クラトソップ ・ナショナル・メモリアル

www.nps.gov
ルイス&クラーク国立歴史公園内にあるサイトの一つ。年間25万人の観光客が訪れます。展示場・書店・劇場のあるビジター・センターと、1805年にルイス&クラーク探検隊が西海岸探検の最後に築いた砦フォート・クラトソップの復元を見ることができます(国有記念物)。探検から150年目にあたる1955年にクラツォップ郡の市民が探検隊の日記とウィリアム・クラークが書いた図面をもとに砦を復元し、3年後に国立公園管理局に寄付しましたが、2006年10月3日に焼失したため、現在展示されているのは最近になって復元されたもの。1805年当時はまだ未開の地だった北西部の実地調査をメリーウェザー・ルイスとウィリアム・クラークの探検隊は丸太で15メートル四方の要塞を作り、33人が1805年12月から翌年3月まで越冬しました。館内ではアメリカ大陸の人の流れの展示、屋外には丸太の要塞と、当時の生活の様子を再現したものが展示されています。当時のまま保存されている松林の中のトレイルやピクニック・エリアもあります。

更新:2022年7月

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