シーサイドは、ポートランドの約78マイル北西(124キロ)、キャノン・ビーチの約10マイル北(約16キロ)にある小さなビーチリゾート。白い砂浜が3マイル(約4.8キロ)も続き、海沿いには小さなブティックやショップが並び、水泳やサーフィン、ゴルフなどのほか、スティールヘッドやサーモン、カニなどの釣りも楽しめます。
「シーサイド」という名前は、1870年代に鉄道王ベン・ホラデーが建設したサマー・リゾート『Seaside House』(ビジネス・センターから約1マイル南)にちなんでいます。
シーサイドの歴史
現在のシーサイドにあたる地域は、長年にわたりネイティブ・アメリカンのクラットソップ族が住んでいたところ。シーサイド歴史博物館によると、クラットソップ族は全長30~60フィートのヒマラヤスギの厚板で作ったロングハウスに住み、毛皮を着、ベリーや鮭、ハマグリやムール貝、鯨やアザラシをとって暮らしていました。また、とても友好的で、北に住んでいたチヌーク族や南のティラムック族と交流があったそうです。
しかし、探検隊や毛皮貿易業者が持ちこんだ天然痘によって多数の死者が出てしまい、1805年11月に現在のウィスコンシン州から探検してきたルイス&クラーク探検隊が到着した時には、わずか250人ほどしかいなかったと記録されています。
ルイス&クラーク探検隊(Lewis and Clark Expedition)とは、当時のアメリカ合衆国第3代大統領トーマス・ジェファーソンの命を受けたアメリカ陸軍大尉メリウェザー・ルイスと少尉ウィリアム・クラークが率いた探検隊。1804年5月に現在のイリノイ州ハートフォード近郊を出発し、太平洋まで陸路で到達して帰還しました。
シーサイドがルイス&クラーク探検隊の最終到達点とされているのは、1805年11月にシーサイドの北約150マイル(約240km)の地点に砦を設営し、塩を作るために現在のシーサイドにあたる地点で野営した記録があることから。
ビーチ沿いの全長1.6マイルの遊歩道『プロム』 の中心にメリーウェザー・ルイスとウィリアム・クラーク、そしてルイスの愛犬シーマンのブロンズ像が立っているのには、そういう歴史があるのです。
その数十年後には白人の入植が始まり、1850年にはシーサイドにゲストハウスがオープンし、オレゴン州のビーチリゾートの発祥となりました。
観光案内所
SEASIDE VISITORS BUREAU
シーサイド観光案内所
www.seasideor.com
観光スポット
TILLAMOOK HEAD
ティラムック・ヘッド
シーサイドの南端にある岬で、エコラ州立公園内にあります。ベイトウヒ(Sitka Spruce)の森に覆われ、太平洋の海面まで1200フィート(約366メートル)の断崖絶壁が続きます。「ティラムック」という名前は、19世紀にこの付近に住んでいた、チヌーク語を話すネイティブ・アメリカンの部族にちなんだもの。ルイス&クラーク探検隊はここで浜に打ち上げられた鯨を目撃したと記録されています。このティラムック・ヘッドからカリフォルニア州とオレゴン州の境までは総合自然保護区域 『Oregon Coast National Wildlife Refuge Complex』 に属する6つの自然保護区が連なっています。
TILLAMOOK ROCK LIGHT
ティラムック・ロック・ライト
ティラムック・ヘッドから約1.2マイル(約1.9キロ)の沖合いにある高さ約20メートルの灯台。1878年に米国議会がティラムック・ヘッドに灯台を建設するため5万ドルを充てることを決定しましたが、海面からの高さがより低い場所の方が霧で遮られるのを避けられるということから、”Terrible Tilly” と呼ばれていたこの大きな岩の上に灯台が建てられることになりました。玄武岩でできたこの岩は海抜約40メートルで、三方が絶壁、残る一方は割れ目のある斜面となっているため、アクセスが非常に困難で、1879年には調査員1人が海に落ちて死亡する事故が発生。しかし、同年10月21日についに着工し、1881年1月21日に初めて火が灯されました。歴史的建造物に指定されている灯台の中では唯一の私有となっており、公共のアクセスはありません。エコラ州立公園とシーサイドの間や、オズワルド・ウェスト州立公園からよく見えます。
BROADWAY
ブロードウェイ
シーサイドの中心地。小さなショップが並んでいます。
THE SALT WORKS
ザ・ソルト・ワークス
前述のルイス&クラーク探検隊は、現在のオレゴン州とワシントン州の境を流れるコロンビア・リバーの下流に到着した頃、塩が底をつき、飲料水や食料となる肉も不足していましたが、数人の隊員が現在のシーサイドにあたる地点に移動して岩でかまどを作り、5つのやかんに入れた海水を煮続けて塩を作ることに成功しました。記録によると1805年12月28日に隊員らはフォート・クラトソップを出発し、翌1806年2月2日から20日の間に約28ガロンの良質の塩を作ることに成功。当時、その場所にはネイティブ・アメリカンのクラトソップ族とティラムック族が住んでおり、探検隊を援助したとされています。1900年にオレゴン・ヒストリカル・ソサエティがこの場所を特定するためこの地域を訪れ、当時86歳だったクラトソップ族の女性ジェニー・ミシェルが、母親が1805年に探検隊を訪ねた場所を何度も訪れたことがあると証言したことで、その場所が確定されました。1955年にはライオンズ・クラブがルイス&クラーク探検隊の日誌をもとにかまどを復元し、国定史跡に指定されました。毎年7月と8月の第3週には、塩を作るパーティーが開催されます。
SEASIDE HISTORICAL SOCIETY MUSEUM
シーサイド歴史博物館
2000年におよぶシーサイドの歴史が展示されている小さな博物館。ビーチ・コテージを博物館にしたものではオレゴン州唯一。展示物の中には紀元前700年にまでさかのぼる物もあり、1899年のシーサイドを復元したジオラマもあります。