MENU

ボストン・マラソン爆破事件、家族関係と移民の視点からの考察

  • URLをコピーしました!
pro_family_takada

Studio Mene and Counseling Services
高田 Dill 峰子さん

Mineko Takada-Dill, MA, LMHC, ATR
カウンセリング:
Rockwood Office Park
1409 140th Place NE, Bellevue, WA 98007

アート・セラピー・スタジオ:
7048 27th Avenue NW, Seattle, WA 98117
【電話】 (206) 276-4915
【メール】 info@studiomene.com
【公式サイト】 jp.studiomene.com
詳細プロフィールはこちら

高田さんへのご質問はこちらからお送り下さい。

コネチカットの小学校で、子供たちが戦闘用ライフルで射殺された事件が記憶に生々しい中、ボストン・マラソンで爆破事件が起きました。子供の心の健康に携わる者にとって、事件そのものの悲惨さや、遺族の悲しみを考える一方、ツァルナエフ兄弟(容疑者)がこのような罪のない一般大衆を攻撃するに至った過程を見直し、このようなことが起きないようにするには個人として社会として何が必要かを考えてみたいと思います。

ツァルナエフ兄弟とその家族の経歴

事件があってからまだ日が浅く、この記事を書いている時点で公開されている情報は限られていますし、間違いがあるかもしれません。このコラムは兄弟の父親のインタビュー、LA Times の “The Tsarnhaev Brothers’ Troubled Trail to Boston” という記事、NY Times の “A Battered Dream” を参考にしています。このような事件が起きると、通常は家族はマスコミに口を閉ざしてしまい、何年もたってから警察や心理学的な調査に基づいた家庭の状況の調査書が出版されるのですが、今回は兄弟の両親や親戚の人々がマスコミのインタビューに答えています。

ツァルナエフ兄弟の父方の祖父母は旧ソビエト連邦のスターリンに故郷のチェチェンを追われ、キリギス共和国(現在はロシア連邦ではない独立国)に移住しますが、1992年にチェチェンに戻ったところでソ連が崩壊し、独立を求めるチェチェンとそれを阻止しようとするロシア連邦の間で第一次チェチェン紛争が勃発。1999年に家族は戦火を逃れてキルギス共和国を経て、母親の故郷であるダゲスタン共和国(ロシア連邦)に移住。その後、2002年から2003年にかけて、難民としてボストンに移民します。移民時の年齢は兄のタメルランが16歳、弟ジョハルは8歳ぐらいであったと思います。

父親はもともとはキリギス共和国検察の捜査官(弁護士)でしたが、ボストンに移ってからは車の修理工として働き、母親はエステの仕事をして、4人の子供と小さなアパートに住み、2010年ごろまでに両親は離婚し、子供たちをアメリカに残してダゲスタンに戻ってしまったようです。

主犯とされる兄のタメルランは1986年ロシア連邦のカルムイク共和国生まれ。アメリカに移住した頃は16歳で、外国人としてのクラス(ELL)の生徒として高校を卒業するものの、短大を中退。2009年と2010年にボクシングでニューイングランド地区のチャンピオンに輝きましたが、トーナメントの規則が変わってしまい、アメリカの市民権を持たないタメルランはトーナメントに参加できなくなります。

一方、弟のジョハルは8歳の小学校の時に移民し、高校に入学する頃には英語にアクセントなどもなく、すっかりアメリカ生活に慣れたように見えました。レスリング部のキャプテンで、成績も良く、友達にも恵まれたジョハルは、誰もが「彼がテロ行為をするとは信じられない」と言います。しかし、彼の両親はジョハルが17歳ぐらいには離婚し、ダゲスタン共和国に帰国しているのです。ティーンエージャーは大人に関わってほしくないように振舞いますが、まだまだ家族のサポートが必要な時期です。必然的に、彼の身近な家族は、8歳年上の兄のタメルランのみとなってしまいました。

犯行の動機は?

アメリカのメディアは、今回の爆破の反抗に至った動機を必死に探っています。世界各地の難民を移民として受け入れているアメリカにとって、そんな人物にテロ行為で罪のない人々を殺されたり、260人を超える人々に怪我を負わせられたのでは、たまったものではありません。最初はイスラム教の過激派にトレーニングを受けた政治的なテロだと思われていたのが、その後、ツァルナエフ兄弟の単独的な犯行であったと推測されています。それでは、個人としての動機は何だったのでしょうか?

親の決めた移民が子供に及ぼす影響

日本人だけでなく、世界各地からアメリカに移住してきた人々と仕事をしてきた者として、私はこの事件とアメリカへの移民の過程で起きる心理状況の関係について考えざるを得ません。実は移民の中では、力強く自国を出てきた親世代よりも、自分の意思ではなく親の決断によって自分の国を出た子供たちの世代の方が、心の問題が起こりやすいことが統計的にも証明されています。経済的に安定した日本人の移民であっても、子供の年齢や素質、性格などによっては、移民といった大きなストレスに対してとても傷つきやすくなるため、悪影響を避け、うまく新生活に慣れていくためにさまざまなサポートの必要性を感じます。

アメリカでの苦難が憎しみへと変化

ロシア連邦でさまざまな地域を転々とし、内戦などの悲惨な状況を経験して、やっと幸せになれると思って来たアメリカで生活するだけで精一杯だった両親にとって、子供のアメリカ生活への順応を助ける余裕はなかったかもしれません。特に、高校生の年齢で渡米した兄は、アメリカ生活にうまくなじめず、得意のボクシングからも締め出され、怒りと苛立ちから昔のガールフレンドや妹の前夫に暴力を振るってしまっていたのが、イスラム教の過激派によるアメリカ文化の否定などに刺激を受け、自分を受け入れてくれなかったアメリカへの憎しみを持つようになり、その気持ちが今回の爆破事件につながったように思えます。

移民の経験する心理的変化とサポート体制の必要性

移民は新しい土地に移動した場合、(1)新しい物が楽しくて興奮している時期 (2)故郷が恋しくなり、新しい土地の何もかもが嫌になり、故郷を予想以上に理想化してしまう時期 (3)なんとなく慣れてしまう時期 (4)自分の故郷と今の土地の文化や環境を統合した視線で見られる時期などの変化を経験しますが、3や4に移行するには、自分自身が故郷の文化と移住先の文化を理解した上で、両文化を客観的に見られるようにする努力と時間が必要です。

ツァルナエフ兄弟の場合、たとえば家族や同国出身者のサポート・システムや、アメリカ側の難民サポート・システム、両親が子供のためにも新天地で何かをやり遂げようとする精神力など、兄弟を受け入れ、順応を助けてくれる場があれば、この事件は避けられたかもしれません。父親側のおじが「あの家族は loser だ。家族の恥だ。」と言っていたインタビューが印象的でした。

アメリカで子育てをして、日本語教育のみに関心が高い両親に育てられ、日本語は一応話せるものの、結局は日本人でもなく、かといってアメリカ人でもない子供たちに出会うことがあります。人間は植物と同じように、大地にじっくりと根を張って育つ方が、鉢植え状態で日本にもアメリカにも根を張れないで育つよりも、良い結果につながります。

掲載:2013年5月

  • URLをコピーしました!

この記事が気に入ったら
フォローをお願いします!

もくじ