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エイミー・サリンさん
みなさんは、「VUCA」(ブーカ)という言葉を耳にしたことがありますか。
VUCA とは、Volatility(変動性)・Uncertainty(不確実性)・ Complexity(複雑性)・ Ambiguity(曖昧性)の頭文字をとった造語で、社会やビジネスにとって未来の予測が難しい不確実な状態のこと。この言葉が作られてから30年以上たった今、新型コロナウイルス(COVID-19)パンデミックや AI 技術等の急激な進化によって、この先の世界がどう変化していくのか予測するのはますます至難の業となっています。
この不確実な時代を生き抜くために求められると言われているのが「アントレプレナーシップ(起業家精神)」。昨今では日本でも重要視され始め、政府主導で大学における実践的なアントレプレナーシップ教育や大学発のベンチャー創出力を支援する動きが始まっています。
現在、世界のアントレプレナーシップ教育を牽引しているのはアメリカです。ワシントン州最大の公立大学であるワシントン大学もアントレプレナーシップを重視し、学部生や大学院生を対象に講義や各種プログラムを展開しています。
そこで今回は、同大学でアントレプレナーシップやイノベーションを促進する目的で創設され、昨年30周年を迎えた Buerk Center for Entrepreneurship(バーク・センター)のセンター長のエイミー・サリンさんに、アシスタント・ディレクターを務める大阿久裕子さんが、アントレプレナー教育の重要性や、シアトルならではの同センターの活動についてお話を聞きました。
起業家精神を教え、どんな仕事でも役立つ経験を積む
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– バーク・センターでは、大学生に実社会で役立つアントレプレナーシップ教育を提供していますが、起業体験は学生にとって、どのようなメリットがあるのでしょうか?また、このような体験を通じて、どのようなスキルが得られるのでしょうか?
学生たちは本当に創造性にあふれています。新しいプロダクトやサービスのアイデアを豊富に持っていますし、高校時代に起業したという学生もいます。私たちは、学生たちが今後のキャリアで必要なスキルを得るには、起業体験が最も適していると考えています。アントレプレナー教育では、まず学生自身が問題意識を持っている課題に対して、解決策を練ります。そして、その解決策を実行するために必要なプロダクトを生産し、予算を策定し、消費者に届けます。また、計画を実行するためには、アイデアを友だちやクラスメート、指導監督など多くの人にピッチしなければなりません。
このようなプロジェクト・マネジメントのスキルは、卒業後に実際に起業するかどうかに関わらず、今後のキャリアにとても役に立ちます。例えば、彼らが家業を継ぐことになっても、コンサルタントになっても、もしくはアマゾンのような大企業で働く場合でも、アントレプレナー教育で得られる実用的なスキルは重要です。このような理由で、私たちは実際にスタートアップを起業したいと思っている学生から、そうでない学生にも、このプログラムを届けたいと思っています。
学際的なチームと、シアトルのスタートアップ環境が効果
– アントレプレナー教育は全米の大学で脚光を浴びていますが、ワシントン大学(UW)の特徴はなんですか?シアトルという土地柄、何かユニークな点はありますか?
ワシントン大学は全米でも主要な研究大学です。医学部は常に全米トップ10にランクされていますし、優秀な工学部、トップランクのビジネススクールもあります。学内で生まれたテクノロジーもあり、キャンパス内にイノベーションの文化を生み出しました。バーク・センターはこのような恵まれた環境の中で、30年間アントレプレナーシップに関するクラスや活動の機会を提供してきたのです。
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バーク・センターはフォスター・ビジネススクールに属していますが、プログラムの大半を全学部の学生にオープンにしています。大きな大学ですから、すべての学部にアプローチするのは本当に大変です。でも、例えば、経営学専攻の学生がコンピュータ・サイエンス学部の学生と繋がって、多様な才能が集まるチームを作ると、素晴らしい化学反応が起こります。特に最近の教員は、学生たちが学際的なチームで活動することを期待しています。このような教育現場における変化もアントレプレナー教育を行うにあたり、より良い環境を作っています。
スタートアップの聖地として知られるシリコンバレーとは異なりますが、シアトルには素晴らしいスタートアップのエコシステムがあります。シアトルは本当に美しい都市で、生活環境も良いので、多くの人がここに来たいと思っています。
また、シアトルには、アマゾンやマイクロソフトなどのテック企業からスターバックスやコストコなどの消費財を扱う企業まで、多種多様な企業の本社、そしてボーイング社をはじめとする航空宇宙機器開発製造会社などの拠点があります。弊センターが運営するビジネスプラン・コンテストには、このような世界有数の企業のCレベルエグゼクティブ(経営幹部職)や幹部クラスの社員がメンターや審査員として参加してくれます。
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他の大都市に比べて、シアトルの企業の人たちは本当に寛大で、奉仕精神に溢れています。例えば、ワシントン大学の学生が、「UWの学生なのですが、15分ほど話を聞きたいです」と連絡すると、それがアマゾンやボーイング社などの世界企業の社員であっても、答えはいつでもOKです。自分が学生時代に誰かに助けられたから、あるいは助けてもらえなかったから、今度は自分が助けてあげたいと思うのでしょう。弊センターは幅広いネットワークを有しているので、学生がどのような分野に興味を持っていても、関連する業界人を紹介することができます。
プログラムを通じて起業に至った『Joe Chocolate』
– 多くの学生主導のスタートアップが、バーク・センターのプログラムを経て、成功しています。彼らの起業ストーリーの例を教えてください。
私のお気に入りの一つは、Joe Chocolate Co.です。アメリカのスラングでコーヒーのことを「a cup of Joe」と呼びますが、Joe Chocolate のチョコレートには、コーヒー豆または砕いたコーヒー豆が入っていて、一袋(70g)にコーヒー2杯分のカフェインが含まれています。
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創業者のサム・タナーさんとピーター・ケチェメットさん
学部生だった創業者のサム・タナーとピーター・ケチェメットは、「Creating a Company」という学部生向けの授業の中で、コーヒー入りチョコレートのアイデアを思いつきました。アウトドア好きの彼らには Pacific Crest Trail(ワシントン州を通る米国3大トレイルの一つ)を縦走するようなアクティブな友だちがいて、トレイルで気軽にエネルギーを補給できるようなスナックを求めていたからです。秋・冬学期を通じてコーヒー入りチョコレートのビジネス・アイデアをブラッシュアップし、春学期に行われたビジネスプラン・コンテストに応募し、上位16位に入賞しました。
コンテストを通じて多くの人たちから肯定的なフィードバックを得たチームは、卒業後、「よし、この会社を本当に始めよう」と決心し、Jones + Foster Accelerator に参加しました。半年間のプログラムを終了する頃には、生産設備を整え、州内に60以上の店舗を持つ主要薬局チェーンの Bartell Drugs を通じて、販路を拡大しました。その後、シード・ラウンドの投資家である Beecher’s Cheese(シアトル発祥の手作りチーズ・メーカー)を通じて、パイク・プレース・マーケットに実店舗を開くことにも成功したのです。(パイク・プレース・マーケットの実店舗はその後2022年2月に閉店)
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創業者のサム・タナーさんとピーター・ケチェメットさん
2020年3月にパンデミック宣言が出されてから、観光業はもちろんのこと、あらゆるビジネスが休業や規模縮小を余儀なくされました。そんな中、Joe Chocolate は、救援物資のスポンサーになることを思いついたのです。個人が50ドルほどでチョコレート一箱のスポンサーになり、新型コロナウイルスの治療をする病院に送る仕組みを作りました。パンデミックの初期から多大な被害を受けていたニューヨークの集中治療室に寄付する取り組みから始め、ワシントン州にも広げました。彼らは授業などを通じてアントレプレナーシップの下地を身に着けていたこともあり、ビジネスをいち早く転換することができたのだと思います。
社会環境の変化に対応し、変化を起こす起業体験を
– バーク・センターは、学生たちが、課題を見つけ、それをビジネスにする過程を伴走していますね。そんなバーク・センターがこれから挑戦したいこと、さらに注力したいことはなんですか?
バーク・センターでは、起業家精神を教え、実践的な経験を積めるプログラムを提供しています。しかし、Joe Chocolate のように実際にアイデアを事業化し、拡大させていくには、相当の覚悟と意欲が必要で、これだけは教えられません。とあるメンターが「起業家になるということは、毎日起きて、顔面パンチをくらうことを覚悟しなければならない」と言ったことがあるのですが、起業家にはそういった経験はつきものです。ですので、誰もが起業家になりたがるわけではありません。過去10年間で、起業を本気で目指している学生だけでなく、そうではない層にも積極的にアプローチするようになったのも大きな変化だと思います。起業家精神や起業に必要なツールやスキルを習得することで、学生たちが更に成長し、視野を広げることができます。
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近年、企業の社会的責任(CSR)の重要性が増しています。学生たちが、事業を考える際に、その企業が与える影響を大局的に見るよう指導するようになりました。サプライチェーンはどうなっているのか、地域や社会にどのようなインパクトを与えたいのか、コミュニティをどう取り込んでいくのか。このような視点をビジネスに取り込むことが、より持続可能なビジネスを創る手助けになります。
女性起業家支援もこれから力を入れていく予定です。2022年現在でも女性の平均収入は男性より17%も低く、世界的に見ても、女性主導のスタートアップへのベンチャーキャピタル(VC)資金は2~9%に過ぎません。なぜこのようなジェンダーギャップが存在するのか。様々な理由がありますが、多くの女性は自分の欲しいもの、必要なものを主張しない傾向があると思います。「男性は応募条件の60%しか満たしていなくても応募を躊躇わないが、女性は100%満たしていないと応募しない」というよく知られた統計もあります。
女性が起業家として、ビジネスパーソンとして自信を持てるようにするには、どうすれば良いのでしょうか?ビジネスを成功させるために、男らしく振舞う必要はないのです。どうすれば女性が起業し、自分の居場所をみつけることができるのか。また、エンジェル投資家や VC に、異なる背景をもつ創業者がいる企業に投資を促すには、どうしたらよいのか。
実際、「経営陣のジェンダー多様性が上位4分の1の企業は、下位4分の1の企業より、平均以上の収益性を持つ可能性が25%高い」という調査結果もあります。このような課題を認識し、女性を含めた多様な背景をもつ起業家の成長を支援するために私たちに何ができるのかが、これからのバーク・センターの活動の軸になります。
– エイミーさんは、休日をどのように過ごしますか?
私はカヤックが大好きです。湖沿いにカヤックをレンタルする場所がいくつかあり、仕事前に一人で行くこともあります。湖の真ん中にいると、本当に落ち着いた気分になります。市内をハイキングすることも好きです。シアトルの中心的なネイバーフッドのキャピトル・ヒルに住んでいるので、他のネイバーフッドにも徒歩で簡単にアクセスできます。
10年以上前にここに引っ越してくるまではシアトルは大都市だと思っていたのですが、実際、人々が小さなコミュニティを形成している地域がたくさん集まっている都市です。出勤前によく行くコーヒーショップで何度も顔を合わせているうちに世間話をするようになった仲の人もいます。オリンピック半島からピュージェット湾まで雄大な自然に囲まれ、温かいコミュニティのあるシアトルをとても気に入っています。
Arthur W. Buerk Center for Entrepreneurship(バーク・センター)
1991年の設立以来、ワシントン大学のあらゆる専攻や学科の学生に対して、実践的なアントレプレナーシップ・プログラムを提供。ワシントン州、オレゴン州、アイダホ州、アラスカ州、カナダのブリティッシュ・コロンビア州の学生を対象に、毎春学期にスタートアップのコンテストを開催している。
【公式サイト】foster.uw.edu/centers/buerk-ctr-entrepreneurship/
聞き手:大阿久裕子さん
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大阿久裕子さん 略歴
栃木県出身。父親の米国中西部ウィスコンシン州駐在に同行し、中学一年時に渡米。中高大を中西部で過ごし、日本に帰国。NPO や国際機関での勤務で世界を転々とした後、2020年に結婚を機にシアトルへ。2021年11月より現職。バーク・センターでは、学生対象のスタートアップ・コンテスト(Dempsey Startup Competition)とアクセラレーター(Jones + Foster Accelerator)を主に担当している。
このコラムの内容は執筆者の個人的な意見・見解に基づいたものであり、junglecity.com の公式見解を表明しているものではありません。